2012年6月14日 (木曜日)

小沢一郎という政治家

Photo_4週刊文春で小沢一郎氏の離婚が報じられています。小沢夫人がその思いを支持者に向けて書き綴った手紙も公開されています。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1442

私はかつて、小沢氏という政治家に大きな期待を寄せていました。若くして自民党の幹事長まで登り詰め、自分さえその気になればいつでも総理大臣になれるような力を持ちながら自民党を離党、その後の政界再編の流れを作りました。

自民党政権の末期や今の民主党政権を見ていても、政治家というのは政権から離れることを何が何でも避けようとするものであるのがよく分かります。しかし小沢氏は宮沢内閣不信任案に賛成し、決然と自民党を去ったのです。そのとき私は、度肝を抜かれるぐらい驚きました。

その後の小沢氏は新しい日本社会を作るため、一貫した政治行動を取っていると見ていました。新進党から自由党に至り、自助・自立を基調とした日本社会のあり方を明確に述べていて、自由党の理念「フリー」「フェア」「オープン」には強く共感していました。まずは自分の力で生きていくこと、そのような自立した人々が自由で公正な社会の中で活力ある生き方をしていくことこそが日本社会の力だ、ということです。

しかし、政治の世界は多数を取らない限り、素晴らしい理念も実現することは出来ません。小沢氏の選択は民主党への合流ということで、この時点で小沢氏は大きな路線変更をすることになりました。今の民主党のばらまき政策-高速道路無料化、高校無償化、農家の戸別所得保障…はかつての自助・自立という小沢氏の理念とどう考えても整合性が取れません。小沢氏の政治目的は、「理念は別として、非自民の政権を樹立し、それを維持する」ことのみに矮小化してしまったのだと感じます。

今回の文春の報道について、真偽のほどは分かりません。が、よもや夫人直筆の手紙をねつ造もしないでしょうから、小沢夫人の思いとこの手紙の存在は事実なのかと思っています。そこに綴られているのは家庭的なスキャンダルと震災時の郷土への姿勢ということですが、かつて私が期待した政治家の姿はここにはないという思いが募ります。

ただ、小沢氏がかつての理想を貫ききれなかったのは、やはり結局は多数を取らなければ物事を実現できない民主主義というルールに起因しています。そして、民主主義社会において社会の方向性を選択するのは我々有権者自身だということです。小沢氏が目指した社会の姿が本当に良かったかどうかは議論があるところでしょうが、新自由クラブから始まって、みんなの党やたちあがれ日本、新党改革など、何らかの思いを持った少数政党がなかなか志を遂げられないのも残念なことです。

政治家を批判するということは結局、天につばするようなもので、そういう政治家を選んできた有権者自身に矛先は返ってきます。日本社会はもっともっと成熟することが必要なのではないかと思うのです。

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2011年6月 5日 (日曜日)

究極の失望〈菅内閣不信任案〉

Kan16月2日、菅直人内閣に対する不信任決議案が衆議院に提出され、否決されました。

この手の政局にまつわる話題は今までこのブログで書いたことがありませんでしたが、政治への信頼をここまで揺るがす事態は看過できませんので、あえて書かせていただきます。

私は学生時代から政治に関心を持ってきましたが、内閣不信任案というものは与党が粛々と否決してやり過ごすもの、というのがふつうです。これが通るのは、宮沢内閣のときのように与党が分裂するときです。その意味で、今回も否決で終わったのはある意味当然の結果です。

が、問題は、民主党の分裂もにらんで与党に賛成派が多数生じた状況を一転させたのが、首相の辞意(と思われた)表明だったということです。それまでの情勢は「可決」だったのです。2日午後1時頃、テレビで「首相が辞意表明」とのテロップと共に、菅首相が思うところを述べている姿を見て、政治状況が一歩進んだ、とほっとしていました。その結果として、次の決議案否決は自然な流れでした。しかし否決後、首相が辞めるのは「震災対応、原発に一定のメドがついたら」ということで、展望としては半年以上先になりかねないという話になってきました。こんなことでは、「任期一杯で辞める辞意表明」も可能になってしまいます。

首相は慎重に慎重に言葉を選び、採決前の民主党代議士会でも、官邸での記者会見でも、翌日の国会審議でも、いつ辞めるということを言わない。その意味するところは「しばらく続ける」ことだということが明らかになってきました。

これは、政治のあり方の根幹に関わる大問題です。「菅首相は辞めると言ってない」という視点で見ると、なるほど1つ1つの発言はそう言っていないようにも見える。ただ、「事実」の問題として、多くの民主党議員が「首相は辞める」と思い、政治行動を大きく転換させたのは間違いありません。

一国の宰相の進退は、国の進路に関わる重大なことです。それについての言葉が、「どちらとも取れる」のでは話になりません。ましてその言葉が「わざと誤解を招くように表現した」ものだとすれば、まさに詐欺以外の何ものでもありません。詐欺によって国家の最高権力者の椅子を保持したとすると、それは犯罪ではないでしょうか。

首相の進退がこんな風に決められるのは、少なくとも私が物心ついてから見たことがありません。これまで私は、世の多くの人々が「政治が変わっても世の中は変わらない」と醒めた目で見ているときも、そうではないと思ってきました。政治には貴い使命があり、その使命に殉じようとしている政治家も少なからずいると信じてきました。しかし、総理大臣たるものがこのようなごまかしで延命を図ろうとしている姿には、さすがに失望の思いを禁ずることが出来ません。

菅首相のこれまでの政権運営にはいろいろな評価がありうるでしょう。しかし事ここに至って、日本の国を一歩でも前に進めることはもはや不可能でしょう。被災からの復興と原発問題の収束という一刻を争う緊急のときだからこそ、1日も早い退陣を頂くしかないと思うのです。

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