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2011年8月 8日 (月曜日)

3・11から今日まで(その1)

会社でここ2年ほどの私の仕事は、社内の受発注等を行う新しいコンピュータシステムの導入です。私にソフトウェアの知識があるわけではないのですが、業務を行うために必要な仕組みをシステム会社にオーダーし、それを検証して稼働まで持っていく仕事をしています。それがいよいよ8月20日過ぎにスタートするため、まさに今が佳境です。

震災後しばらくの間は会社の業務も限りなく休止状態に近かったので、その間わずかながらボランティア的なことを行いましたが、数週間後に会社が全面再開となって以降は、津波で壊滅した南相馬市の原町営業所、原発20キロ圏内で入れなくなった楢葉町の富岡営業所などへの対応に始まり、さまざまにイレギュラーな業務が必要となったため、まちのことに関われる余裕がなくなってしまいました。

そんな中でわずかながら行ってきたことを、まとめてUPしてみたいと思います。

Dsc110313_093Dsc110317_014震災後、生活上大変だったのは水が出なかったこと。水道の復旧はいわき市水道局が相当に頑張ってくれました。が、それでも広域に及んだ復旧作業はいっぺんには片付かず、我が家は4月8日まで断水でした。近くの川に水を汲みに行ったり、給水車や給水所で給水するのが日課となりました。

ガソリンの欠乏も社会の大問題でした。スタンドはガソリンが入ったところは開店しますが、そうでないところはしまったまま。開いたところには開く前から自動車が列をなしました。何時間かかってもいいからアブラが欲しい、という人たちが押し寄せていたのです。私もいつもお世話になっているカネマン石油さんが開いたということで給油に行くと、知り合いたちが何人も手伝いをしていました。妻子を遠方に避難させ、自分はやることがないから手伝いをしているんだ、という人も。これは私もお手伝いしなきゃ、ということで2日ぐらい並んでいる車の誘導などをしました。

Dsc110319_038Dsc110319_020地元スーパーのマルト小名浜君ヶ塚店がオープンしたのが3月19日頃でしたか。我が家も早速買い出しに行きましたが、ざっと見たところこちらは1000人ほどの長蛇の列。いったいどれぐらいのものが置いてあるのか、我々の順番まで品物が残っているのかちょっと心配でしたが、思いの外潤沢に商品がありました。「お願い! 商品不足のため、飲料品(ペット/紙)・カップ袋ラーメン・納豆・牛乳の販売をお1人様1個までとさせて頂きます」の掲示。いやあ、このときはそれでもぜんっぜんありがたかった。スーパーでものが買えることがこれほど感動的だとは。

Dsc110320_050Dsc110320_052あるときは、支援物資の運搬作業の手伝いをしました。いわき青年会議所(JC)は3月11日から年間の事業計画をいったん白紙にし、震災対応に奔走することになりましたが、そのお手伝いで、小名浜港に到着した救援物資を平競輪場に運搬しました。自衛隊のたくさんの隊員の方々が運搬業務に当たっていました。

Dsc110320_062競輪場には、全国から続々と水、パン、毛布などなど、膨大な物資が毎日届いていました。ネットでは「物資はあるのに被災者に配れていない」ことを告発する映像が波紋を呼びましたが、何日かのタイムラグを置いて事態が改善される様を目の当たりにしました。「病院に薬がない!」「福祉施設に食料がない!」「避難所には菓子パンしか来ない!」などといった告発がメールで回ってきたりしましたが、私のところに届くまでに恐らく3-4日の時間が経過し、確認してみると「昨日まではそうだったよ」といったことが何度かありました。未曾有の震災で行政も地域の人々も右往左往しましたが、問題が指摘されると時々刻々解決に向かっていったのです。

Dsc110329_0838年前、いわき青年会議所を設立するためのいわき5JC統合に対して、先進地として大きなサポートをして下さった諏訪圏青年会議所の第2代理事長・松本浩成さんが、お仲間と救援物資を持って長野県からわざわざ来てくれたのが3月29日。この頃には日用品がある程度手に入るようになっていましたが、病院や福祉施設が必要としているものはまだ残っており、市内のそうした施設を何カ所か一緒に回りました。こうした善意には、本当にありがたい思いでいっぱいです。

Dsc110402_002_2いわきでの大学の同窓会の幹事をしている関係で、同窓会本部からも2度ほどお見舞いの電話を頂きました。また、他地区の同窓会から支援物資を頂き、それはいわき青年会議所にお渡ししました。

Dsc110321_080Dsc110321_089_2東京方面から炊き出しに駆けつけてくれる人たちもいました。ボランティアの方々は熱い思い1つでやって来ようとされるのですが、上記の通り、被災地の状況は時々刻々変化します。「今」、支援を必要としている人たちに橋渡しする地元の受け皿がないと、思いは空回りしかねません。ということで、行政からの要請を受け、炊き出しに来られる方々に場所を提供し、配布作業まで一緒に行いました。Dsc110321_098Dsc110321_112避難所となっていた小名浜市民会館の調理場をお借りし、避難者に配布すると共に、江名地区の避難所にもお持ちしました。私の中学、高校の同級生で、小乃せ食堂の嫡男にして磐城緑蔭高校教師の小野瀬鉄夫君も汁物作りに馳せ参じてくれました。

Dsc110324_146さらに、いわき市に寄せられた大量の支援物資を地域内の人々に配布する作業が一週間ぐらい続きました。実をいうとこれはなかなか複雑な思いに襲われました。というのは、おにぎりやあんパンなどが日々大量に届くのですが、届いたその日が賞味期限だったりして、行政はそうなると配ろうとしないのです。…ってことは、もしかして捨てちゃうの? せっかく善意で送ってくれたものを、まだ食べられるのに廃棄するなんて、それは人間としてやってはいけないことでしょう。せめてそうなる前に人々の手に渡そうと、おにぎり1万個を裁いた日もありましたし、賞味期限の切れたあんパンを1箱もらってきて周囲の人に配ったりしました。自宅の冷蔵庫であんパンを冷凍して、毎日1個ずつ食べ続けたりもしたなあ。もったいないといっても、これじゃ体を壊しそうですけどね。

この間、JCは細野原発担当相など政府首脳と懇談する場などもありましたが、そうした際に提案してくれとお願いしたのは、こうした大災害のときに国が主導権を持って復旧チームを自治体に送り込み、支援する側の自治体との調整なども含めて、過不足のない対応を取れる仕組み作りを行って欲しいということでした。

阪神大震災以来、大災害が起こったら、医療チームは即座に被災地入りする仕組みが出来上がっています。DMAT(ディーマット)と呼ばれるものがそれで、今回も震災当日には全国の医師たちが出動し、緊急医療体制を敷きました。巨大地震が起こればその瞬間に被災地では家屋が倒壊し、インフラが寸断され、住居、食料、医療、燃料等の支援が必要になります。どこの自治体でもマグニチュード6とか7クラスの地震は初めての経験となるので、間髪を入れず必要な対応を取れるところなどないはずです。で・す・が、日本全体として考えれば数年に1度はどこかで大地震は起こっているのであって、そのときに復旧に必要な要素は毎度同じなのです。であれば、大地震の瞬間にDMATが出動するように、国からも被災対応のプロが出動し、地震当日にも被災自治体で緊急体制を組むようにすべきだと思うのです。支援物資の受け入れも、全国の自治体に対し、「今、何が必要か」を絶えず情報発信し、充足されたものが過剰に送られなくてすむ体制が必要です。

まとめて5カ月分のブログを書くと長いなあ。まだ続きもあります。今日は花火事務局時代にお世話になった吉田直子さんから「いい加減に更新しなさいよ!」と言われたので、何はさておきブログ書きをしました。更新しましたよ~、直子さん(^_^)v。

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