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2006年6月 5日 (月曜日)

小名浜を走る鉄道〈福島臨海鉄道〉

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Xmg_1921例によって小名浜まちづくり市民会議の広報紙の記事を書かせられたが(もとい。書かせて頂いたが)、今回は福島臨海鉄道を取り上げた。書くに当たって色々調べてみると、またまた知らなかったことが一杯だった。

私の実家は小名浜の古湊で、家の前の道の下には「軌道」の線路が埋まっていると聞いていた。軌道というのは「磐城海岸軌道」のことで、当初泉から古湊まで、その後江名まで延伸された鉄道のことだ。といっても最初は馬車で貨物と旅客を運んでいた。名前も「小名浜軽便馬車鉄道」と言ったようだ。人が通る道を走っていたので、要は路面電車だったわけだ。

軌道を作ったのは、東京の事業家で鈴木藤三郎という人。製塩工場を小名浜港に作るにあたり、原料や製品の輸送用に鉄道を引いたらしい。どうせなら人も運んで欲しいという地元の要望に応え、旅客輸送も行うようになった。どうして小名浜に製塩工場なのかといえば、ご存じのようにいわき沖は黒潮と親潮の合流地点で、なんと他の海より塩分濃度が高い! なおかつ海水の水分を飛ばすのに常磐炭鉱の石炭を利用したとのこと。製塩工場に適した土地を探した結果が小名浜だったいうわけだ。

Xmg_1924その後製塩工場は閉鎖され、鉄道の事業主体も変わり、昭和初期に日本水素(現日本化成)が小名浜に進出してきて、この鉄道をやはり原料や製品の輸送用に使うようになる。日本水素はこの臨港鉄道に多数の役員を出すようになり、路線も現在の泉駅から小名浜駅に至る路線に変わった。

さらに時代は高度成長期になり、工場の貨物輸送が急増する一方、モータリゼーションのXmg_1926 進展で旅客が激減。昭和47年には旅客輸送が廃止となる。昭和47年といえば私が小学校2年生の時。小名浜はそこそこのまちなのに旅客鉄道がない。臨海鉄道で人を乗せればいいのに、と10代の頃から思っていたが、私が小さい頃までは人を運んでいたわけだ。

現在の「福島臨海鉄道」は福島県、JR貨物、日本化成の三セク会社。しばらく前までは東邦亜鉛、小名浜製錬、日本化成の各工場内に線路があり、原料や製品を輸送していたが、今、場内を走っているのは東邦亜鉛だけとなった。全国に「臨海鉄道」というのは11社あるそうだ。JRと各地域の臨海部を結ぶような鉄道なのだろう。福島臨海鉄道は一日に上り4便、下り4便。ダイヤというのはどうなっているのかと思ったが、ちゃんと毎日決まった時間に運行されているらしい。駅はしばらく前まで泉駅と小名浜駅しか知らなかったが、間に宮下駅というのがある。行ってみたらちゃんと大きく駅名が出ていた。昔はここでも人の乗り降りがあったのだろう。

Xmg_1931臨海鉄道が走っているのを見ることはあまりないが、時折「ポーッ」という寂しげな汽笛の音が聞こえてくる。今回改めて鉄道のあちこちを見てみて、このローカルさが何かいい感じに思えてきた。まちって、愛着をもって見てみると、見え方が違ってくるのだと感じる。

常磐線開業100年を記念し、1997年に一度、お座敷列車というのが走った。上野から常磐線を通り、そのまま臨海鉄道で小名浜臨海部に至る列車だ。さらに、2002年からは花火大会のために臨時列車を走らせ、けっこうな賑わいとなっている。アクアマリンふくしまなど小名浜にかなりの観光客が訪れている今、もう一度旅客列車復活は出来ないのかとJCなどでも話したことがあるが、人を乗せるには線路のメンテナンス等もよけいな手間がかかるらしく、採算ベースで考えるとやはり難しいらしい。

小名浜港背後地再開発はいわき・ら・ら・ミュウ、アクアマリンふくしま、そしてこれから倉庫群の整備へと移っていくが、臨海鉄道ヤードの移転は次に控えた大きなテーマだ。日本化成場内への移転等話はあるが、予算の拠出が問題らしい。

時代と共に移り変わってきた臨海鉄道だが、時代と共にこれからも生き続けて欲しいものだと思う。

Xmg_1994(追記)こんな話を調べていたところだったので、スーパー「マルト」でいわきの塩を売っていて、思わず買ってしまった。まだ開けていないが、いわきの潮の味がするだろうか。

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