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2006年5月30日 (火曜日)

60年を迎えた地域メディア〈いわき民報〉

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Xmg_1972

先週、いわき市内の夕刊タブロイド紙「いわき民報」の創刊60周年祝賀会に出席した。地元国会議員はじめ地域の有力者が多数集まった豪華な宴だった。主賓は滝鼻読売新聞社長。野沢いわき民報社長は今後の紙面改革を表明していた。
http://www.iwaki-minpo.co.jp/(5月27日記事)

Xmg_1959私が慶應大学で学生新聞を作っていた頃、「慶應義塾 過去・現在・未来」という企画をやったことがあった。慶應義塾の開塾からの歴史を座談会形式で連載するものだった。第2回のテーマは、福澤諭吉が作った日刊紙「時事新報」。

福澤は明治という新しい時代、近代日本を作り上げる際にオピニオンリーダーとしての役割を果たした人だった。近代文明とはどんなものか、学問の意味は、日本の進路は、ということを日本社会に発信し続けた。その福澤の三代偉業と言われるものが慶應義塾、時事新報、交詢社だった

近代社会に必要な学問を収める場であり、新生日本を導く人材を育成する場が慶應義塾。その慶應義塾と福澤の叡智を発信し、社会を導くメディアが時事新報。そして、慶應義塾で育った人材の交流の場が交詢社。この3点セットで福澤は近代日本をリードしていった。

そういうわけで時事新報という新聞は、戦前のクオリティペーパーだった。が、経営戦略の失敗で戦後倒産する。上記の座談会は、かつてこの時事新報の記者だった人たちに同紙を語ってもらう企画だった。一通り話も終わってお開きという時になり、出席者の1人、80代の元記者の方が「新聞が出来たら『いわき民報』の野沢さんに送って欲しいんだ」と言った。え? 私は自分がいわき出身だなどと言っていない。どういうことか尋ねたら、時事新報休刊後、かつての記者がその後新聞を興し、今も続いているのはいわき民報だけだと言うのだ。へええええ。驚いた。そう、いわき民報創始者の野沢武蔵さんは時事新報の元記者だったのである。

座談会の新聞が出来て、コトの経緯を書いて野沢さんに送ると、丁重なお礼の手紙を頂いた。当時はまだパソコンで記事を書く時代ではなく原稿用紙に手書きだったが、それは時事新報と同じものを使っていると書かれていた。

この話を聞いたときから、いわき民報という新聞の重みをずっと感じている。特に今日的な意味としては、広域都市いわきをつなぐメディアとしての役割だ。いわきの今を論じ、このまちをどうしていけばいいのか、多くの市民が意見を交わす談論風発の場であって欲しい、と投書したのは10数年前のことだった。その使命は今なお果たし終えていないし、60年という節目を迎えた今、志を持ったメディアとして成長することが求められているように思う。

さあ、いわき民報は私のこの期待にどう応えてくれるだろうか。

Xmg_1698…祝賀会ではいわき民報の創刊号が配られていた。ん?いわき民報が創刊されたのはいわき市誕生のはるか20年前だ。それでどうして「いわき」民報? 坂本剛二代議士が挨拶で、子供の頃勿来市民は誰もいわき民報という新聞を知らなかった、と語っていた。いわきがいわきでなかった頃、すでにこの新聞は「いわき」を名乗っていたのか。この時代の先取り感はすごい。これからのいわき民報も、創刊当時のこの慧眼を持ち続けられるだろうか。これからが問われている。

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