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2006年2月20日 (月曜日)

うだつのある町並み〈小名浜古湊〉

XMG_0645XMG_0643XMG_0648XMG_0650JCも卒業し、今まで不義理をしていた小名浜まちづくり市民会議に出始めている。そしたらさっそく広報紙で小名浜の風景を書くことになり、誠に安易ながら実家の近くを取り上げることにした。

市民会議では古湊地区を歴史と文化の地区に位置づけており、中でも「うだつ」のある町並みに注目している。とても保存に値する町並みだとは思えなかったが、「うだつ」は確かに独特の建築なのである。写真は左から酢屋、かんじ屋、塩屋の建物。私の実家は塩屋。酢屋や塩屋は勿論、酢や塩を売っていたわけではなく、屋号である。かんじ屋も漢字を売ってはいない。

ネットで調べるとうだつの由来は中国らしく、日本では中世に京都・奈良で始まったという。うだつは卯建あるいは梲と書き、防火壁の役割を果たしていた。豊かでないと作れないことから、屋敷の1つの品格を表すものとなったようだ。「うだつが上がらない」はうだつが上げられない家、というところからきていると言われる。今でも岐阜の美濃市、徳島の脇町はうだつのある町並みを売りにしていて、脇町ではうだつのある家が50軒も軒を並べており、しっかりと観光地化している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%A4
http://sikoku-udatu.hp.infoseek.co.jp/udatu.htm
http://www.sukima.com/08_hida00_01/15mino.htm

それに比べれば古湊の町並みなど大したことはなく、こうした家の前に電線も張りまくっているし、人に見せられるものではない。しかし、古湊はいわば小名浜発祥の地と言ってもよく、かつては漁業、そして港を使った物流の町として栄えた。古湊は明治初期まで米野村と呼ばれており、江戸時代は最初磐城平藩の領地、その後幕府の直轄領となった。幕府に取られてしまったのは港の機能が評価されてのことであり、江戸時代は米の積み出し、そして常磐炭鉱の石炭積み出し港として重要な役割を果たした。

各国の排他的経済水域が200海里となった昭和50年代に日本の漁業は大きな打撃を受けたが、小名浜港も漁港としての賑わいは往時に比ぶべくもない。小名浜港には多くの大漁旗がなびき、まちには船乗り達が繰り出していた。船具商だった我が家は船主からサンマなどをよくもらったもので、小さい頃の私の感覚では、サンマは買って食べる魚ではなかった。サバを1匹もらったりすると夕食は1週間サバだったりして、さすがに食傷気味になった記憶がある。

時代の変化の中で町の風景は時々刻々と変わっていくが、その中でも残すものは残し、語り継ぐべきものは語っていって欲しいと思う。 

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