2008年12月16日 (火曜日)

小名浜大好き!〈フラオンパクまち歩き〉その2

(その1からつづく…まずはその1をご覧下さい↓)

Xsc_0107こうして、江戸時代から続く漁業家、酢屋に到着。Xsc_0086今年は日本全国に酢屋さんの不幸な事故が報じられたが、そうした胸痛い出来事の記憶が覚めやらない中というのに、野崎哲社長の奥さん、野崎早苗さんが温かく出迎えてくれ、古い漁業家らしい立派なお宅にあげさせていただく。立派な神棚、「昭和十六年」と書かれた金刀比羅宮のお札、「海是寶」の書、Xsc_0088広々とした縁側…。Xsc_0102神棚は漁船の船底の板から作られたものということだ。古い作りの家に不思議とマッチしているのが、手作りとおぼしきイタリア製というガラス細工の照明。早苗さんがご自分で作られている、バッグを始めとする各種袋物。こだわりのあるいい布地を使って丁寧に作られた品々は、ネット上の楽天市場でも販売されている。女性陣はこういうものに目がないらしく、参加された皆さんはそれぞれお気に入りの商品を買い求めていらっしゃった。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/c-syndicate/

Xsc_0112Xsc_0108つづいては、すぐ向かいにある私の実家、塩屋。塩屋は大正3年に創業した船具商。今は鉄鋼を始めとした建築資材全般の商社に変貌している。やはりうだつのある家であり、茶の間の作りなどはこの辺の古い家で見かける独特のものとなっている。この古い母屋を残して、昨年、裏に新しい住居を造った。新進気鋭の建築家・廣瀬大祐氏と我が市民会議の蛭田修二会長による設計で、いろいろなこだわりをもって作られた住居である。
http://www.shioyasangyo.jp/
http://www.archicomplex.com/jp_works.html

Xsc_0114古湊の通りを抜けるところにひまわり信用金庫の旧古湊支店がある。支店の営業が休止された後、我々市民会議でしばらく「まちなか資料館」としてお借りしていたこともあり、ウィンドウには「小名浜港発祥の地・米野地区案内図」というのが貼られている。米野というのは古湊の古い言い方。江戸時代、この辺は「米野村」だったのである。

Xsc_0123通りを抜け、富ヶ浦公園への坂道を上る。この公園は小名浜一の桜の名所と呼ばれ、Xsc_0119小名浜のまちと太平洋を一望するさまは絶景である。この公園には、昭和初期、小名浜港建設のため内務省に命懸けの陳情をした小名浜町民「白だすき隊」を称える碑が建っている。当時の小名浜町長・小野晋平がその先頭に立ったのだが、晋平に始まる小名浜の港づくり、まちづくりの歴史が先ごろ福島中央テレビで番組化され、「ふくしまの素顔・小野晋平~国際港・小名浜の整備に奔走した男たち~」として放送された。不肖わたくしも、取材を受けて登場したのであった。

Xsc_0128Xsc_0129Xsc_0132Xsc_0134一応、フラオンパクのプログラムとしてはこれで解散。が、出発点の小名浜魚市場に戻る道々、小野浩さんの語りは続く。本日は立ち寄れなかったが、1443年に開山されたとされる「真言宗智山派、開虎山観音寺、浄光院」を横に見、かつて水産試験場があってさまざまな研究の行われた、小名川沿いの割烹・野崎荘、B級グルメの代表格、食堂みやぎ、上述の小野晋平さんの銅像と海員会館、市場食堂、さすいち、うろこいち、チーナン食堂といった小名浜ならではの味覚の数々。

約3時間の行程は意外にも盛りだくさんで、小名浜の原風景と地域の人々の温かさに触れられる旅であった。小名浜ってこんなに面白いのね。小名浜出身者でも意外と知らない小名浜の生の姿。是非沢山の方々に味わってもらいたい。

ということで、最後にフラオンパクの小名浜まち歩きプログラムをご紹介します。
『港町 小名浜おもしろ散歩』9:30~12:00 参加費1000円
 12月14日(日)※終了
 1月11日(日)
 2月8日(日)
『港町 小名浜「魚とお友達」』9:30~13:00 参加費2500円
 ※野崎荘で昼食あり(どんこ鍋の予定)
 12月21日(日)
 1月25日(日)
 2月22日(日)
ツアーの中身は今回ご紹介した内容がベースですが、参加された皆様の興味と関心、案内人・小野浩さんのひらめきにより、いかようにでもアレンジできます。ここが手作りツアーの面白いところ。
問い合わせは「小名浜まちづくり市民会議」事務局までどうぞ。TEL0246-52-1275
ここにはわたくしがおります。
申し込みは基本的には、「いわきフラオンパク」事務局まで。TEL0246-43-7923
ネット予約はこちらから。
http://iwakihula.onpaku.com/modules/program7/index.php?id=2
でも、分かりづらい場合は市民会議への電話申し込みでもけっこうです。
お申込みは、それぞれ実施日の前日までにお願いします。

ということで、小名浜まち歩き、楽しいよぉ(^_^)v

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小名浜大好き!〈フラオンパクまち歩き〉その1

Root_4Xsc_0003「フラオンパク」が2年目を迎え、湯本中心のイベントから少しエリアが広がって我が小名浜も参戦することとなり、6回にわたってまち歩きをすることになった。その第1回が12月14日。朝からパラパラと小雨が降り続き肌寒く、コンディションとしては最悪。でも参加予定者は重装備に身を固め、1人も欠けずに出発した。朝からお昼までの半日コースだったが、とっっっても満足感あふれるツアーだった。小名浜って、古湊って面白い!というのが今日の結論。なお、今回のコースは右の通りである。
http://iwakihula.onpaku.com/

あ、私の立場を言っておかなければならないが、今回のまち歩きを小名浜まちづくり市民会議が担当したので、事務局長の私は案内人の小野浩さんと共に主催者側なのであった。今回ご参加いただいたのは、商社マンとして40年のドイツ暮らしを終え、小名浜が気に入って移り住んでこられたKさんご夫妻、いわき市男女共同参画センターのN所長とそのお孫さん、そして市民会議から3人という7人のお客様たちであった。

朝9時半、小名浜魚市場に集合し、いざ出発。ツアーの目印は小名浜の新しいシンボルにしようという鯉のぼりならぬカツオのぼり。古湊育ちの市民会議大御所Yさんが旗手役に。案内人の小野浩さんはもともと又新造船所というところの出で、今は草野心平文学記念館の専門学芸員という方。歴史家であり手品師であり歌まで歌ってしまう方で、小名浜の歴史を語らせれば1日でもしゃべっているというきわめてユニークな方である。

Xsc_0006まず最初は小名浜漁港へ。第31寿和丸が出漁の準備をしていた。アジ漁に出るという。船の上には黒い網がドサッと山になっており、船員さんがロープの準備をしている。Xsc_0010小野浩さんが別の漁船を指さしながら、船首があんな風に出っ張っているのは波切りの意味があるんだ、と話す。小名浜港のカツオ水揚げは全国3位であること、小名浜に古代の貝塚が3つあること、小名浜の海は遠浅で港を作るのが大変だったこと、など、昔から今に至る漁港・小名浜についての説明をひとしきり。

Xsc_0012歩きながら進むと漁業に関する道具が転がっている。玄蕃(ゲンバ)と呼ばれるプラスチック製の桶を見つけては「近海物の魚はこれに詰めて運ぶんだ」と語り、アルミ製のバットを見ては「これは冷凍サンマを解凍するとき使うんだ」と述べ、遠くいわきマリンタワーを眺めては「あの展望台の高さは59.99m。この『99m』には意味があるんだ」と話し、まさに歩くうんちく。

Xsc_0018_4三崎の入口にある丸克商店前の冷凍倉庫には巨大な捕鯨絵図が描かれており、「いわき市指定文化財・紙本着色磐城七浜捕鯨絵巻に加筆」とある。「内藤さんという殿様が磐城平藩主になったとき、捕鯨を始めたんだ」という江戸時代のお話。黒潮と親潮の交わる潮目の海・いわきは、鯨の漁場としてもとってもいい場所だった。戦後も鯨を捕っていたという写真を見せられ、一堂「ヘーッ」。小名浜は長らく東日本で唯一、製塩工場があるまちだった。現在も「日本海水」という工場があるが、なぜ製塩が小名浜かというのも実は潮目の海と関わりがあったのである。

Xsc_0022_2横断歩道を渡ると朝日製氷がある。製氷屋さんというのも漁業のまちだからこその業種。ショートショートで有名な星新一の父・星一(ほし・はじめ)はご存じの通りいわき市出身だが、日本で初めて冷凍技術をドイツから導入した人なのだとか。Xsc_0023

その向かいにある2階建ての家が案内人・小野浩さんの生家、又新造船所があったところ。かつて小名浜には木造造船所が5軒あり、合併して現在、㈱小名浜造船になっている。漁業のまちに造船所があるのは当然のことと思っていたが、いわきの場合、造船に適した木材が取れることも有利な条件だったということで、他の地域からも造船の依頼があったのだそうだ。造船の技術についてまた、ひとくさり。

Xsc_0032Xsc_0029八間道路と呼ばれる古い幹線道路を横切って、いよいよ古湊地区へ進む。まずはいわき市合併前、磐城市最後の市長、三代義勝(みよ・よしかつ)さんがかつて住まわれていた屋敷の前を通りかかる。現在お住まいのイワキ潜建社長、佐藤紀子さんが、あら何で歩いているの、と声をかけて下さる。これこれこういうわけでまち歩き中ですと説明。三代市長時代の立派な蔵が道路から見える。年に3回咲くという桜の木が咲き誇っていて、驚いた。

Xsc_0038つづいて、老舗のコーヒー卸し・いわき珈琲商会へ。寒い日だったので、店に入るとメガネもカメラのレンズも曇りつく。Xsc_0037_2ご主人の小野さん夫妻が出迎えてくれ、挽きたてのコーヒーをごちそうしていただく。そうそう、古湊地区はとりわけ小野姓が多い。酸味のあるコーヒーの温かさが五臓六腑に染み渡る。実は当店、昔むかしは造船所。Xsc_0044上記の小名浜造船を構成する造船所の1つだった。40年前にコーヒー卸しを始め、今や市内の喫茶店、レストラン等に広くコーヒー豆を卸す会社に成長している。今、業務の中心は平だが、自宅を兼ねた古湊の本店でもコーヒーや各種業務用食品が安価で販売されている。お店の歴史などをいろいろ伺う。

Xsc_0053Xsc_00471軒はさんですぐ隣に行くと、画廊の「ギャラリーi」がある。ご主人の小島(おじま)さんが出迎えてくれ、Xsc_0051ギャラリーの説明をしてくれた。今月は予定されていた展覧会が中止になってしまったということで、彫刻家・湯川隆さんの作品がいくつか展示されていた。こちらはもともと醤油の醸造をしていた由緒あるお宅だ。古い母屋は明治21年に建てられたものだったが、老朽化に伴い平成4年に建て直したという。古い家がなくなってしまったことは残念だが、ギャラリー内には立て替え前の戸棚がそのまま用いられており、ディスプレー用のカウンターはもともと神棚だったのだという。面白い。
http://www15.plala.or.jp/galleryi/

Xsc_0065次は、はす向かいのサクマ食品へ。知る人ぞ知る干物の名店。Xsc_0055地元の人だけが知るいいお店というやつがよくあるが、小名浜で言えばまさにここがそう。同じ魚を干すのになぜここのは美味しいのか? Xsc_0064秘密はあるらしいが、謎。しかも安い。たとえば一串500円。しかも、小名浜で取れた地物の魚でしか干物を作らない。Xsc_0069本日干してあったのは、ドンコ、ニクモチ、タラ、メヒカリ、ヤナギ、アブラギス、イカ、ノドグロなどなど。メヒカリやサンマ、キスなどの干物をフライパンでさっと温め、試食をさせてもらう。うまい。これは、うまい。
http://www.town-clinic.com/ town/iwaki/sakuma/index.html

Xsc_0073小野浩さんの説明を受けながらこの古湊の道を進む。日本を代表する建築家、隈研吾氏が本堂を設計した港ヶ丘の冷泉寺を横目に見ながら、
http://www.reisenji.or.jp/
Xsc_0078ここ数年リフォーム業で元気な志賀塗装・本社を通過し、
http://www.reform-shiga.co.jp/
創業から150年を数える味噌・醤油の醸造店、緑屋商店と、うだつのある旧家、カンジ屋を過ぎる。緑屋には終戦まで日本海軍の嵐部隊(人間魚雷)の事務所で使用された建物があり、旧磐城市役所庁舎(現・いわき市小名浜支所)とXsc_0079同じ人物の設計とのこと。

Xsc_0081_2うだつについては以前に述べたが、港町独特の建築様式で、屋敷の正面に突き出た壁のことを指す。家の格式を表すものと言われる。古湊地区でうだつが残っているのはカンジ屋、酢屋、塩屋の3軒。カンジ屋と塩屋は近年、住居を新築したが、うだつのある母屋はそれぞれ残した。
http://loveiwaki.cocolog-nifty.com/duketogo/2006/02/post_51fd.html

(その2につづく)
PC http://loveiwaki.cocolog-nifty.com/duketogo/2008/12/post-c903.html
携帯 http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/183095/161453/55571824

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2008年3月 9日 (日曜日)

クリントンじゃないよ〈小浜〉

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米大統領選挙の民主党候補指名争いで、当初下馬評が高かったヒラリー・クリントン氏を黒人のバラク・オバマ氏が猛追、逆転を果たしている。それに便乗して、福井県小浜市がオバマ氏の応援を始め、負けじと長崎県雲仙市の小浜温泉も話題になっている。Xsc_0061おいちょっと待てよ。小浜はいわきにもあるじゃないか。いわき市小浜町はどうした。オバマ旋風に便乗しないのか? こういうところがいわきのイマイチなところだよねえ。材料はあるのにPRが下手。…っつーことで、本日はいわきのオバマに行ってきました。

Xsc_0082いわき市民の中でも小浜って知られてないかも。エリアとしては勿来地区に属するが、分かりやすく言うと、いわき健康センターや小名浜オーシャンホテルなどが小浜である。いわき市にある沢山の海水浴場の中でも小浜海水浴場は穴場として知られる(穴場、というのは要はあまり知られていないということだが、これが沢山の人でごった返すのがいいのかというとそうとも言えない)。マピオンで見ると小浜のエリアがよく分かる。小名浜臨海工業団地と常磐共同火力の間のエリアということだ。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/55/01.046&el=140/50/27.312&scl=25000&bid=Mlink

Xsc_0045Xsc_0059小浜には小浜漁港がある。小さな港だが、ここに「浜の駅ふらっと」というお食事処がある。ここは漁協のおばさんたちが運営している食堂で、小浜で取れた魚をどんぶり物などにして出すのである。我が家の3人娘を連れて昼飯を食べに行ってみると一杯で、いくらか待つ。Xsc_0057Xsc_0055Xsc_0056_2一番下がまだ幼稚園のため、4人だと大体3人前で足りるので、地魚丼650円、アナゴ丼750円、小女子(コウナゴ)丼700円を頼む。お茶とお冷やが両方出てきたりちぐはぐなところがあっXsc_0058たが、如何にも浜の食堂という感じで、むしろ好感。何でもこの食堂は、水揚げはされたけれども流通ベースには乗りにくい魚を料理して出しているのだという。地魚丼は何の魚だろう、白身の刺身などがどんぶりに盛られ、おいしかった。アナゴ丼は揚げたてのアツアツ、カリカリ、甘じょっぱくておいしかった。Xsc_0046コウナゴというのはあまり食べない魚だが、白魚のように小さくて、卵の黄身と醤油を混ぜ、ご飯に盛って食べる。子供たちはバクバク食べ、足りない雰囲気だったので地魚丼を一つ追加。いや、よく食べた。

店内はドンコの煮付けやひじき、サンマの骨などお持ち帰り品も各種売られている。店の外では白魚を干していたり、ヒラメの干物を干していたり、獲物と覚しきエイやフグなどが置いてあったりして、面白かった。

Xsc_0070子供たちはその後、夏に海水浴場となる砂浜に。波打ち際でしばらく遊んでいた。三女は「足入れてもいい?」というが、おいおいまだ冷たいよ、といって我慢させた。子供って海が好きなんだねえ。自然というのはお金をかけなくても十分楽しい、と改めて思う。

一説によると、小浜は男浜、小名浜は女浜が語源とのこと。真偽は定かではないが、地形的にいうと、突き出た小浜と引っ込んだ小名浜というのは確かにある。これだけ近くて似たような名前なのは関連性があるのかと思っていたが、こういう語源なら納得できる。

Xsc_0084小名浜が都市化された港とすると、小浜の風景は漁村そのもの。こぢんまりした感じがけっこう好きだ。名所というか、岩間に抜ける急な坂道はまさに「ヘアピンカーブ」で、完全に180度折り返す坂がある。ここを降りると常磐共同火力発電所のエリアになる。

オバマ旋風で小浜市は有名になったが、これを書いていて、ひょっとしていわき市小浜町は今のままがいいのかな、と思いが変わってきたところである。

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2008年1月28日 (月曜日)

意外にポイント〈いわきフラオンパク〉

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世界中の「いわき大好き!」ファンの皆様! あけましておめでとうございます。1月も末になって何が「あけまして」だ、とお怒りにならないよう切にお願い申し上げます。…ということで、謝るのはそのぐらいにしておいて、さっそく本文に参ろう。

1月6日から「いわきフラオンパク」が始まっている。終わりが3月2日だから2カ月に及ぶ長期イベントである。いわき市民の皆様におかれましては、新聞、TV等でずいぶん報道されているからこういうイベントが行われているのはすでにご承知だと思うが、かいつまんで説明してみよう。

そもそもオンパクというのは九州は別府温泉で始まったもので、「温泉泊覧会」の略。言葉からすると、温泉を舞台に、泊まりがけで、いろんなものが見られるまちの博覧会、といったところか。始まったのは2001年。もう7~8年の歴史を刻み、年々ブラッシュアップされているという。
https://www.onpaku.jp/com/

このオンパクの手法をいわきに取り入れたのが、いわきフラオンパク。いわきの場合、フラガールが一躍有名を馳せたこともあり、フラという言葉を加えたのだろう。いわき湯本温泉を舞台に、2カ月の間に大小60個もの企画を連日行うというイベントなのである。いわき市の観光共同キャンペーンにも位置づけられ、のっけからいわきを代表するイベントになってしまった。

Guidebook2008_r1_c1_232ページにも及ぶパンフレットをめくってみると、炭礦遺産巡り、湯長谷藩の足跡巡り、和紙づくり体験、アクアマリンふくしまバックヤードツアー、アンコウ鍋を味わうツアー、化石発掘体験、山伏健脚ツアー、コンパクトデジカメの撮り方講座、フラダンス講座などなど、実に多種多様な企画が盛り込まれている。その肝はいったい何かというと、地域の中に点在する多様な要素を1つのイベントの名の下に全部つなげてしまおう、そしてその相乗効果を発揮しよう、ということなのである。
http://iwakihula.onpaku.com/

今までもちょっとした体験企画、ちょっとした単発のイベントは色々あった。しかし、東京みたいな大都会ならいざ知らず、けっこう力の入った面白い企画でも、いわきみたいな田舎町ではそうそう人は集まらない。我が「いわき大好き!」は、いわばそうしたいわきの面白さを発掘しようというのが趣旨であるが、フラオンパクは枯れ木も山の賑わいというか(あ、いえいえ問題発言です。取り消し取り消し…(^^;))、埋もれたいわきの面白さをパッケージで見せることで、一つ一つに光を当てようというものなのである。

いわき青年会議所時代の私のテーマには、点在するいわきの要素を如何につなげて力を発揮させるか、ということがあったが、それを一つの形に表したのがフラオンパクだと言えよう。おお、すばらしい。これを仕掛けたのは、古瀧屋の里見喜生君である。彼の斬新なアイディアはなかなか捨てがたいものがある。

ってなわけで、前置きが長くなってしまった。我が家はイベントスタートの6日、昨年末にオープンした童謡館に行ってきた。この施設の説明をするとまた長くなってしまうが、湯本ゆかりの野口雨情を記念した新しいスポットである。6日の日は声楽家の人やお琴を弾く人などがたくさんの童謡を披露してくれていた。建物の中には最近いわきでよく見かけるつるし雛が所狭しとつるされていて、美しかった。

オンパクの大きな特徴は、カフェテリア方式ということ。長い期間の間にたくさんのイベントを行い、観光客などは自分が興味を持つイベントをカフェテリアよろしく自由にチョイスして、自分なりのオンパクを楽しめるという仕掛けだ。イベントは平日も多数行われているが、残念ながら毎日が日曜日ではない私としては、オープン日以降、いずれのイベントにも参加できないでいる。ああ、もったいない。

今後このイベントがいわきに定着していけるかどうか、とにもかくにも第1回の検証が必要であろう。第2回以降は湯本温泉だけではなく、舞台をいわき全域に広げていく構想もある。まだ初回の半ばに差しかかったところで来年の話をするのも何だが、いわきの良さをつなげるいいイベントに育って欲しいと願うところだ。

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2007年11月11日 (日曜日)

中心市街地再生の切り札〈LATOV〉

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Xsc_064010月25日、いわき駅前に新たな商業施設「LATOV」が鳴り物入りでオープンした。平競輪場、いわき市文化芸術交流館「アリオス」と並び、ここ数年のいわき市の最重要施策の1つがついに完成したというわけだ。TVも新聞も、らとぶ、らとぶと連日賑やか。オープンに合わせて平のまちなかでコンサートが開催されるなど、この施設にかけるいわきの人々の意気込みが感じられる。先週末、平に用事があって行ったら、余裕を持っていったはずが渋滞で30分も遅れてしまった。これもLATOVの影響である。

Xsc_0600私はオープン初日の夕方一人で、そして土曜日には娘たちを連れて行ってみた。駅側から入ってまずは一二三屋さん。ずらりと酒瓶が並び、壮観。私は酒飲みではないので中身はよく分からないXsc_0599が、この店舗にかける気迫を感じた。そして水産加工品の雄、丸市屋さんの大きなのれんが目に入る。少し行くと、このところおつきあいをさせていただいている高木園さんのソフトクリームに行列が出来ている。他に野菜、鮮魚などが1Fに並ぶ。

2F、3Fはコーヒーショップ、レストラン、ブティック、家具屋、時計、書店…と様々な店が並ぶ。2週間経った今でも連日賑わいは続いている模様。3Fのローレン&リーフで昼飯を食べたが、10何種類の野菜で作られたオムライスがとってもヘルシーで美味しかった。

Xsc_0588だがしかし、「LATOVどう?」とずいぶん色んな人に聞いてみたが、「いい!」という人は1人しかいなかった。その1人が「あなた行ってないでしょ?」と突っ込まれて、「はい」と答えていたので(T_T)、事実上LATOVを評価するいわき市民には未だお目にかかれていない(-_-)。魅力的な店舗が少ない、飲食店の並びにブティックがある、狭い、空き店舗が多い…など評価はほぼ一緒。う~む、キビシイ…。

Xsc_0590誰がいったい悪いのか、と犯人捜しをしたくもなるが、そうはいっても市民の血税を投入し、中心市街地再生の切り札として開業したからには、このまま終わってもらっては困る。外観はなかなか立派なのですよ! ああ駅前らしい堂々たる建物だなあ、とオープン前、私は思っていたのである。小さく産んで大きく育てる、という言葉もある。評判は決してよくないけれど、歯を食いしばって頑張っていただきたいっ。

Xsc_0595一方、逆に評価が高いのが4F、5Fの市立総合図書館。いわき未来づくりセンター所長などを務めた、かの小宅幸一氏を館長に迎え、明るくきれいで広々とした図書館が出来上がった。東北一の図書館を目指すのだそうで、DVDやビデオの視聴設備が大変充Xsc_0596実していたり、読み聞かせの部屋や子供の遊び場が十分配置されていたり、貸し出しも自動でやれるようになっていたり、すこぶる好評。蔵書数は100万冊を目指すという(現在39万冊)。この図書館がLATOV最大の集客力を持つかも知れない。いわきを代表する文化人の小宅氏がどのような文化発信をしてくれるのか、期待が膨らむ。
http://library.city.iwaki.fukushima.jp/

6Fには産業創造館やいわき商工会議所が入った。この前初めて知ったが、6Fにはインキュベートルームというのがあって、要はアントレプレナー(起業家)支援の空間として、月1万円程度でパソコンから空調までついた部屋を借りられるらしい。これは大変お得。まあ、行政評価としてはここまでの大盤振る舞いに見合った成果がここから生まれるのか否かの検証も必要だろうが、起業を志す人にとっては大変恵まれた場所であることに違いない。7F以上は業務スペースになっており、まだ空室も多いと聞くが果たしてどうなることか。

Yahoo_2ところで、誰が書いたか知らないが、WikipediaにはもうLATOVの項が出来ている。簡単な記述だけどね。手回しのいいことだ。テナント集めももっと手回しよくやってもらいたいものだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Latov
はてなダイアリーにもある。これまた簡単だけど。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/Latov
YAHOO!のブログ検索をしたら、おお、すでに本ブログが一番頭に来ている。すばらしい! 他のブログではこんな風に書かれている。
http://blog.goo.ne.jp/ankou10/e/66d4455ea5e322a3da0b5575ba223965
http://ameblo.jp/yynk-k-200487/entry-10053786440.html
http://blogs.yahoo.co.jp/qxjff441/18138265.html
http://angel.ap.teacup.com/arigatou358/439.html
http://airedale.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_8186.html
http://mocha-27.jugem.jp/?eid=34
http://blogri.jp/shadowlovers/entry/1194594964
10分で飽きた…か。まあ、そう言うなよ。

そして、LATOVだけに目を奪われていてはいけないのであって、これを機に平の商業者がやる気を出しているというのが大事なところ。これまでお上まかせで自助努力が足りないと言われ続けた平のまちだったが、商工会議所副会頭の小野栄重さんが先頭に立って、「一店逸品運動」などを展開している。屋台村を開いたり、コンパクトシティで全国に名を轟かせた青森市の何とかさんに指導を仰いだり、これまでになく平の活性化の気運は高まっているようなのだ。だから、LATOVに厳しい目は注がれているものの、こうした気運をホントの市街地再生につなげて欲しいと思うのだ。
平が再生しなければいわきの元気は生まれない、と思うので。
http://www.latov.com/

Junzox★ときに、本ブログのプロフ写真を似顔絵に入れ替えました。今までは私の暑苦しい写真を入れていましたが、実物と違うから差し替えろ、とさんざん色んな人に言われ続けておりまして、しかし、めんどくさいからそのままにしていました。先日、小名浜スタンプクラブの横浜中華街満腹ツアーがあり、なんと2500円分のスタンプで7000円相当の中華料理を食べてきました。その際に有名な赤レンガ倉庫に足を伸ばし、似顔絵屋さんに似顔絵を描いてもらったので、ついに写真を差し替えてしまいました。し・か・し、この似顔絵も実物より老けているとか何とか、すでに文句を言われております。まあ、これでいいじゃないすか。山藤章二さんが言っていますが、描かれた本人が不快に思う似顔絵というのは、いい似顔絵だそうで。大胆にデフォルメして、特徴が強調されているからということのようです。私もこの絵を見たときは、ちょっと老けすぎなんじゃない?と思いましたが、そんなことを言っているといつ差し替えられるか分からないので、当面これでご勘弁を。

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2007年10月22日 (月曜日)

蘇る漁港の賑わい〈国際環境芸術祭〉

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Xsc_0372ここ数年この季節、アクアマリンパークで「国際環境芸術祭」という催し物が行われる。主催はアクアマリンふくしまと我が小名浜まちづくり市民会議で、私の理解では、環境問題を切り口にした芸術祭。ん~、そのままか。今までは外野で「面白いイベントだなあ」と思っていたが、今回は主催者側ということになり(私は何も関わっていません<(_ _)>)、関係者のお話もいくらか伺えたので、興味が一層増すことになった。
http://www.marine.fks.ed.jp/exhibition/2007art/2007art.html

Xsc_0512アクアマリンは安部館長の豊かな発想で実に様々な広がりを持っているが、その一つの切り口が、「芸術」。開館当初からアートをからめた企画展などを実施していた。その仕掛け人が伊藤隆治さんというデザイナーの方で、この芸術祭のプロデュースも手がけているそうだ。
http://www.mov-art.co.jp/

Xsc_0528Xsc_0522芸術祭の目玉は、「国際大漁旗デザイン展」。漁業文化のシンボルとして大漁旗に着目し、新作のコンテストを行っているのだ。小名浜で漁業が盛んだった頃、港には沢山の漁船がひしめき、大漁旗が舞っていた記憶がある。日本漁業の賑わい、漁師たちの心意気、大漁や安全を願う祈りの心、そうしたものが凝縮されているのが大漁旗であるに違いない。漁業文化の影がすっかり薄くなってしまった小名浜にあって、大漁旗などというものはすっかり忘れ去られていたはずだが、その新作を世界に募集してコンテストを行おうという発想がとにかく面白い。

Xsc_0532Xsc_0535安部館長によると、大漁旗というのは太平洋側のもので、日本海側にはないらしい。まして海外にはなく、今回海外にも応募を呼びかけたらしいが、「大漁旗って何?」という感じだったようだ。しかし、上述の伊藤さんによると、大漁旗の展示を海外の水族館で行って、こうした日本の文化を発信したいという思いもあるようだ。小名浜から世界への文化発信という何だかわくわくするようなところにまで着想が及んでいて、今更ながらアクアマリンふくしまという施設がいわきにもたらしたものの大きさを思ってしまう。

Xsc_0371もう一つ、芸術祭の一角を担っているのが「シーボーンアート」。シーボーン、つまり海の骨、要は海岸のゴミでもってアートを作ろうというもの。これを担っているのが「日本渚の美術協会」というNPO。海岸には様々なゴミがある。ポイ捨てされたもの、どこかから漂着したもの。でもそれを使って作品にしてしまえば、ゴミはたちまちアートに変わる。
http://www.npo-nagisa.com/

Xsc_0367Xsc_0363芸術祭はいつも、アクアマリンパークの4号倉庫が会場である。1・2号倉庫が改装されて来春店舗などとして開業しようとしているが、こうした古い倉庫活用のさきがけがこの芸術祭だ。4号倉庫はまだ何の手も加えられていないので、中はホントに殺風景。しかしここに様々な展示を行うと、たちまち美術館になってしまうところがまた面白い。今回は地元の小学生たちが思い思いの大漁旗を描いていて、何とうちの娘のものもあった! Xsc_0361Xsc_0530親の知らない間に学校でこんなことをやっていたわけね。そして、今まで小名浜で使われてきたホンモノの大漁旗が掲げられているのも壮観。アクアマリンの周辺には今回の応募作品がずらりと並び、浜風にパタパタとなびいている。

Xsc_0516先週末には大漁旗の表彰式が行われ、日が暮れた後のアクアマリン大水槽前で入賞者や招待作家が紹介されていた。昼間は水槽の上の方にいるイワシの群れが、夜は底の方に固まっているのを興味深く見ながら、様々な方とお話も出来て楽しかった。Xsc_0517今度は是非、大漁旗の文化を持たない海外の人々の作品に触れてみたいものだ。寿司が日本を離れ新たな展開を見ているように、大漁旗もまた新たなデザインが生まれてくるかも知れない。

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2007年9月25日 (火曜日)

古代のロマン香る〈勿来の関〉

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「勿来」はなぜ「なこそ」と読むのか。高校時代、3年間まったく授業をしてくれなかったH教諭から教わったことで唯一覚えているのが「な…そ」。これで「…するな」という禁止の意になる。北原白秋の「春の鳥/な鳴きそ鳴きそ/あかあかと/外の面の草に/日の入る夕」の「な鳴きそ鳴きそ」がよく知られるところで、「春の鳥よ、鳴くんじゃない」という意味になる。つまり「なこそ」は「な来そ」ということで、「来るなかれ」「来るな」という意味になる。

Xsc_0025春先に勿来文学歴史館の前に吹風殿という建物が出来た話を聞いていたので、家族で行ってみた。何かそれらしい展示でもあるのかなあ、と思って。文学館の方も実は中に入ったことがなかったので、見学。その中で、ああ勿来って古代の雅(みやび)な人々にロマンをかき立てた土地だったのだなあ、と感じ、冒頭の説明と相成ったのである。

Xsc_0013_2まず文学館について語ると、順路としては2階の企画展、「歌枕なこそ」の常設展示、そして長いスロープで1階に下り、「不思議タウンなこそ」の常設展示と3つのエリアから成っている。企画展は最近までゲゲゲの鬼太郎をやっていて、今はお香の展示がされていた。ちょっとスペースが狭くて物足りない。

Xsc_0015「歌枕」はなかなかよかった。今日のすべてはここと言ってもよい。大きめのスクリーンと小さな沢山の画面が並んでいて、和歌などに詠まれた「なこそ」が詩的に綴られていく。音と光と言葉が織りなされて、奈良・平安貴族の心の内にあった「なこそ」の地が感じられたような気がした。大和朝廷が日本列島を完全に支配下に置く以前、北海道・東北は蝦夷(えみし)の地であり、いわばそことの国境線が「勿来の関」だったわけだ。だから「来るな」は日本人に向けていった言葉ではなく、「野蛮人たちよ、ここからは日本だから、こっちに来るな!」ということだったのである。上方の貴族たちにとってはとてもとても行くことの出来ない辺境の地であり、それだけにロマンかき立てられる場所が「勿来」だったわけだ。だからこそ行ったこともないのに和歌に詠まれるし、ぶっちゃけた話、それが厳密にどの場所なのかなんてことはどうでもよかったのである。いわば西洋の人々が憧れた「ジパング」に近い感じなのではないか。…といったあたりの気分が感じられた「歌枕」の展示であった。

ここで興ざめな話をするのもなんだが、勿来はどうやらホントはここではないらしい。学術的にそれはかなりはっきりしているらしく、どうも仙台付近がホントの勿来らしいのだ。いわきの殿様で内藤さんという人がいたが、この方が文化人で、そのとき「ここが勿来だ」と言い出したらしい。誰も異議申し立てをしないうちに、それが定着してしまったようだ。知ってしまうとちょっとガッカリだが、でも内藤さんはよくやってくれたのではなかろうか。上述の通り、ある意味場所ではなく「勿来」はロマンなのだ。それをゲットしたのだから、「勿来」のロマンはいわき市民が頂いておこう。

続く1階の展示は「江戸時代の宿場町の雰囲気を味わいながら、ゲーム感覚のミュージアムサイト」なのだそうで、うん確かにそんな感じは出ている。子供たちも喜んだ。でも、展示自体に何も説明が書いていないので、江戸時代なのかどうかも判然としないまま終わってしまった。
http://www.iwakicity-park.or.jp/bungakurekishikan/

Xsc_0006はい、では最後に「吹風殿」について。「寝殿造り」だそうで大変立派な建物。きっと相当建設費もかかったのだろう。何があるのかなあ、と思って中に入ったら、何もない。ボランティアらしいおじさんに「ここはなんのための施設ですか」と聞いたら、1日2000円ぐらいでサークル活動なんかに使ってもらうのだそうだ。この日は来場Xsc_0010者も少なく、利用者もいなかった。「平日はけっこう使われているんですか」と聞いたら、「いやあ、たまにね」。「??」…どういうこと? こんな立派な施設なのにたまにしか使ってないの? Xsc_0007ここは何でも体験学習施設なのだそうだが、位置づけとしては休憩所なのだとか。ん~、ずいぶん高い休憩所だこと。実態はもう少し正確に聞いてみないと分からないが、そんなことがありうるのかと、しばし呆然としてしまった。
http://www.iwakicity-park.or.jp/bungakurekishikan/suifuden.html

さはさりながら、「勿来」のロマンを是非最大限に発揮していただきたいと思う今日この頃である。取って付けたようなまとめで、失礼しました。

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2007年9月10日 (月曜日)

<(_ _)>〈小名浜まちづくりステーション〉

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世界中の「いわき大好き!」ファンの皆様、2カ月半のご無沙汰をお許し下さいっっっ<(_ _)>

実はたださぼっていたわけではなく、少々身辺に変化があった。6月1日から「小名浜まちづくり市民会議」「いわき港まつり実行委員会」「小名浜スタンプクラブ」3団体の事務局を仰せつかったのである。一昨年まで10年間、青年会議所(JC)でまちづくり活動をやってきたが、1年半ゆっくりした後、再びまちづくりに明け暮れる日々がやってきてしまった。

Xsc_01003団体を簡単に説明すると、最も古い歴史を持つのが「港まつり」。小名浜港花火大会をメインに、いわき踊り、おなはま海遊祭という3つのイベントを行っている。今までもまつりの協賛金集めは毎年協力していたが、一から十まで運営に携わるのは初めてだった。6月、7月の慌ただしさは半端じゃなかった。でも、小名浜の花火のすばらしさが今回よく分かった。これだけの質の花火なのに知名度は今ひとつ、ということがとにかく残念。来年は是非、『小名浜花火メジャー化計画』を遂行したいと思う今日この頃である。
http://www.iwakiminatomaturi.com/

Xsc_0101つづいて、7年ほど前に結成されたのが「小名浜まちづくり市民会議」。小名浜地区にいくつもあったまちづくり団体が大同団結し、小名浜のまちづくりを一元的に行っていこうということで生まれた団体だ。私の感覚でぶっちゃけて言うと、40歳でJCを卒業した人たちが40過ぎてJC活動する場所、という感じ。JC現役時代に理事長、副理事長といった要職を経験した人たちがずらりと並ぶ。もちろん、JCメンバーでなかった人も多数いて、民間人は行政に引っ張られてやっとまちづくりに関わるようなまちが多い中、手弁当でよくこれだけ熱心にやってるなあ、と思う。

Xsc_0102市民会議の構成団体というのは、商店会連合会、建設業組合や理美容組合などの業界団体、各種NPO団体などで、当初はJCも入っていた(小名浜のJCからいわきのJCになった時点で抜けたのだと思う)。今や海から市街地まで小名浜地区のまちづくりに深く関わっていて、国、県、市各レベルの行政とも絶えず協議しながらまちづくりを進めている。いわき市とはパートナーシップ協定を結び、いわば小名浜の市民代表と正式に位置づけられているのである。
http://www.onahama.jp/

Xsc_0103この市民会議の中から生まれてきたのがスタンプクラブ。小名浜のお金は小名浜で使ってもらおうという趣旨でスタンプ事業が行われている。加盟店で買い物をすると100円につき1円相当のスタンプを1枚差し上げる。地産地消とか地域通貨などというものにつながる事業だ。全国で商店街が苦戦を強いられる中、元気を出して繁盛店を目指している。
http://www.stampclub.jp/

3団体の中で中心的な位置づけは市民会議だが、県から委託されて小名浜港1・2号埠頭間のアクアマリンパークは年間を通して管理・運営しているし、ここの倉庫群を店舗として再生するのも来春には実現する。福島臨海鉄道ヤードを移転してもらって次なる港湾背後地整備に動き、鹿島街道の小名浜港までの延伸を図り、この道路に新たな市街地を生み出す作業も進めている。一方、小名浜発祥の地・古湊地区の歴史掘り起こしや小名川周辺の整備、富ヶ浦公園の整備など、小名浜のまちを再生する事業は実に多岐にわたる。最近も我々をモデルに市民会議を起こそうという他都市の人々が視察に来たり、全国的にも「先進事例」とされているのである。まあ、私としてはできあがったこの場所にひょっこりやってきただけなので、私がやりました、と言えないのは大変残念だが、率直によくやってきたものだと思う。

これら3つの団体が入居しているのが、「まちづくりステーション小名浜」。長年、東邦銀行小名浜支店として使われてきた建物が空いたので、数年前からお借りするようになり、日々まちづくりに携わる小名浜人が往来して、サロンと化している。

3団体の活動内容を細かく説明すると、今日もブログが更新されずに終わってしまうので、この辺で。何が言いたいかというと、これら全部に関わるようになって、忙しくてブログどころじゃありませんでした、ということなのである。とりあえずまつりの季節は乗り越え、いくらか落ち着きを取り戻しつつあるが、目標の週一更新は果たして維持できるやら…。お約束は出来ないが、ぼちぼちやっていきたいと思います。どうぞ皆様、あきらめずにご来場下さいませ<(_ _)>。

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2007年6月25日 (月曜日)

今年も来たアスリートの季節〈トライアスロン〉

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03本日、「第3回太平洋トライアスロンinいわき」が開催された。この大会はいわき青年会議所の創立記念事業として始められたもので、私も立ち上げに関わっていた。が、第1回、第2回と不運が続いた。いわきの素晴らしいロケーション、スタッフの工夫を凝らした企画、福島県トライアスロン協会の全面的協力等大会の条件は整っていたのだが、2回とも直前に台風が襲来し、水泳が出来なかった。それでもいい大会にはなったが、スイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(マラソン)の3つが揃って初めて「トライ(3種の)アスロン(競技)」だから、我が大会は「デュアスロン(2種の競技)」になってしまい、不全感はいかんともし難かった。

第3回の今年は台風の季節を避け9月から6月にシフト、コースも[永崎海岸→新舞子]から、[サンマリーナ→アクアマリン]という、立ち上げの時に目指し実現しなかった夢のコースで行うことになった。そして見事、今回はすっっっっばらしい大会になった。過去2年の恨みを晴らしてもらえて、私はたいっっっっへん、うれしい!

Xmg_6468すでにJCを卒業した私はボランティアとして参加。今日は梅雨の合間の夏空。昨年までは朝5時、6時に集合すると真っ暗だったが、この季節はすっかり夜は明けている。それだけでも気分は上々。大会本部のいわきサンマリーナはスタッフが準備を整え、Xmg_6474500名に及ぶボランティアが続々と詰めかけていた。私はアクアマリン前の警備を仰せつかったのでサンマリーナでのレースの模様は見ることが出来なかったのだが(写真もスイムは会場の模様のみ)、太平洋に面したきらめくマリーナでスイム1.5㎞が行われ、美しい吊り桟橋が心臓破りの坂としてバイクのスタートコースとなった。県トライアスロン協会の森崎さんによれば、このロケーションは国際大会も出来るほど素晴らしいということだ。バイクはマリーナから、小名浜の臨海部を走る6車線の産業道路を完全封鎖して進み、宝石のような水族館・アクアマリンふくしまを折り返し地点として3周回、40㎞。最後のラン10㎞は再びマリーナからアクアマリンを目指し、アクアマリンをグルリと回ってアクアマリンパーク内へ。来年改装・オープン予定の倉庫群を回っていわき・ら・ら・ミュウ前でフィニッシュ!というコースだ。
http://www.triathlon-iwaki.com/top.html

Xmg_6484今回は大学の大会と日程がかち合い、大学生の参加が少なかったが、それでも170名近くの選手が出場。Xmg_6486レースは県内出身の五輪選手、西内洋行さん(6月17日現在で今年のジャパンランキング男子1位)がダントツで勝利した。が、トライアスロンは順位もさることながら、過酷なレースだけに多くの選手が完走を目標にする。老若男女、20代から60代まで、男も女も、自分と闘い勝利していく様は感動的だ。完走した一人一人が勝利者なのである。私は一人一人に声援を送りながら、今日の大会を見届けた。

そ・し・て、もう一つのトライアスロン大会が7月15日に開かれる。それは、第2回となる「2007JTUスーパースプリントトライアスロン選手権小名浜港大会」だ。これは一般選手が中心の太平洋大会と違い、ランキングをもった日本のトップ選手だけが参加するハイレベルの大会だ。スーパースプリントは、計51.5㎞のオリンピックディスタンスより大幅に短い距離を競う。スイム250m、バイク3.6㎞、ラン1.2㎞、計5.05㎞。これを3クール闘い、ポイントを競う。距離が短い分ハイスピードとなり、通常のトライアスロンに比べ激しいレースとなる。しかも3クールなので選手にとっては相当きついだろうが、日本のトライアスロンが世界レベルに達するためには、スーパースプリント大会がもっと必要なのだそうだ。

トライアスロンの国内公式戦はNTTトライアスロンジャパンカップと呼ばれるが、それはトップオブトップス大会が2戦、トップ大会が10戦となっており、小名浜港大会はそのトップ大会の1つに数えられる。そのうちスーパースプリントは酒田、小名浜、銚子の3大会で、第1回の昨年から小名浜港大会は国内トップレベルの重要な大会になっているのである。
http://www.jtu.or.jp/ranking/index.html

私は昨年もこの大会を見たが、とにかく迫力があって面白い。小名浜港のロケーションがまた最高にいい。太平洋大会でも分かるとおり、一般にトライアスロンは(マラソンなどもそうだろうが)長距離に渡るため、レースの一部しか目にすることが出来ない。が、小名浜港大会はスイムもバイクもランもグルリと見渡せる会場で行われる。トライアスロンの醍醐味を観衆として最高に楽しめる大会なのだ。

スーパースプリントは必見! いわきに住んでいてこの大会を見ないのはちょっともったいない。万難を排して、7月15日はどうぞ小名浜港においで下さい(レースは女子第1ヒート9:55~、第2ヒート10:25~、第3ヒート10:55~、男子1ヒート11:30~、第2ヒート11:57~、第3ヒート12:24~)。
http://www.onahama.jp/sst_onahamako/index.htm

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2007年6月 1日 (金曜日)

炭礦発祥地めぐり〈内郷〉

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2月に続き、4月29日に第2回ヘリテージ実験ツーリズムが行われ、「常磐炭田発祥の地-内郷地区の炭礦遺産を巡る」と題して、内郷地区の炭礦遺産を見てきた。

Xmg_6095まず最初が常磐炭砿・内郷砿選炭場跡地。選炭場というのは坑内から搬出した石炭からズリ(石炭以外の不純物)を取り除く設備のこと。Xmg_6105常磐炭砿は本州最大の炭鉱で、中でも内郷砿は主力砿ということで、おのずとこの選炭場は本州最大の選炭場、ということであった。いわきに炭鉱があったことは知っていたが、つい最近までそれ以上のことはほとんど知らなかった。今なおこうした設備の跡が残っているなんて、ほとんどのいわき市民は知らないだろう。コンクリート造りの巨大な設備が日本の近代産業を支えた往時に思いを致させる。

Xmg_6123_1この場所というのが内郷のいわき紙器(常磐パッケージの関連会社)の敷地からちょっとした山道を上がっていったところで、ふだんは立入禁止のようだ。私有地であり、建物自体がすでに安全でないということもあるのだろう。私もこんな会ででもなければお目にかかれなかった。

Xmg_6116_2さらに歩いていくと、今度は「住吉一坑坑口」と「扇風機の上屋」がある。詳しいことは分からないが、炭鉱というのは色んなところに穴を掘って坑内に入っていくのであろうが、「○○坑」とそれぞれ名前が付いているらしい。そのうちの1つ、住吉坑。坑口というのはふつう2つあるそうで、石炭や資材を運ぶ本卸(ほんおろし)と人間を運ぶ連卸(つれおろし)に分かれるとのこと。住吉一坑は左が本卸、右が連卸ということだ。今はどちらもふさがれている。

扇風機というのは、坑内に空気を送り込むためにあったそうだ。といっても、この場合風を吹き込むのではなく吸い出す、負圧の扇風機である。地下数百㍍まで空気を送り込む技術というのは大変なものらしく、緻密な計算によって行われたそうだが、空気の通り道は2本になっていて、一方が入口、一方が出口。つまり、扇風機で空気を吸い出すことにより、もう一方からは入り込んで来るという仕組みらしい。今はその上屋のレンガだけが残っている。

Xmg_6124山を下りて少し行くと、今度は「水中貯炭場」というのがある。石炭を水中に貯蔵する施設だ。石炭は空気に触れると劣化するということで、それを防ぐために水中に貯蔵したとのこと。常磐炭砿の石炭は日本を代表する他の産炭地に比べ炭化の度合いが低く、質は高くなかった。それがさらに劣化しないようにというための設備だった。

Xmg_6125つづいて、かつては人混みでまっすぐ歩けなかったほど賑わっていたという金坂商店街を行く。今は住宅地の中にいくらか商店があるという程度の通りだが、そういう説明がつくと特別な道に見えてくるからXmg_6127不思議だ。さらにバスで炭住(炭鉱住宅)の跡を通り、共同便所の横を過ぎてゆく。今では使われていない便所も、見方を変えると「近代文化遺産」なのである。

昼食後、元常磐炭砿社員の秋本さんという方にレクチャーしていただく。この方は技術畑を来た方で、炭鉱というはその当時の技術の最先端を行っていた産業だということがよく分かった。上記の扇風機の技術もそうだが、Xmg_6137坑内の掘削というのはトンネルと同じように右と左から同時に掘り進めて貫通させるそうだが、トンネルのようにまっすぐに掘り進むわけではないので技術的にははるかに難しいそうだ。また、地下600㍍まで下りる高速エレベーター、1㌧の石炭を掘るために30-40㌧の温泉を汲み出さねばならなかったことなど高度な技術が集約された産業で、ツルハシ1つの肉体労働と思っていた私の炭鉱観が180度変わってしまった。

石炭が地中にどのように存在するかも初めて知った。要は2.5㍍ぐらいの厚さの地層の1つをなしているということだ。分かりやすくいうと、板チョコを斜めに地面に突き刺した状態なのである。その頭がちょうど石炭が発見された弥勒沢(みろくさわ)である。炭鉱の初期は浅いところを掘っていたが、時代と共に掘り進み、最後は地下数百㍍にまで至ったということだ。板チョコの幅はどれくらいかというと、日立から富岡あたりまで。それが常磐炭田の全貌なのである。

Xmg_6152午後は徒歩で「石炭(スミ)の道」3㎞あまりを歩く。これは白水阿弥陀堂から弥勒沢炭鉱資料館をグルリと回り、また阿弥陀堂へと戻る道。資料館では炭層を見られるところもあり、Xmg_6157石炭が今なお地中に眠っているのがよく分かる。

湯本には炭田史研究会などがあり、炭鉱の歴史を本格的に研究している人たちの層も厚い。それを多くの市民や観光客が楽しめるようなツアーに洗練させていければ面白い。それがヘリテージツーリズムの本旨でもあろうと思う。

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