2012年1月16日 (月曜日)

海洋汚染の現状<サイエンスカフェ>

Xmg_0761_3いわきニュータウンの福島県水産会館で「第3回いわきサイエンス・カフェ~いわきの海と魚を語ろう~」が開催されました。いわき市の場合、陸上の空間線量はある程度落ち着いていますが、海がどうなっているのかずっと気になっていました。

Xmg_0763今回は福島県水産試験場の水野拓治水産資源部長が「水産物における放射性物質のモニタリング経過について」、築地市場・(株)神奈辰の栗竹俊夫社長が「築地市場から見たいわきの水産物について」お話をされました。レクチャーの後で質問等を付箋に書き、それに答える形で意見交換が行われました。参加者が研究機関、漁業関係者、流通加工関係者、観光関係者、行政、報道関係者といったその筋の方々のため、とても中身の濃い会で、勉強になりました。

以下、印象に残ったことを箇条書きで記します。

・水産試験場ではいわき海域と相双海域で、魚類、イカ・タコ、甲殻類、貝、海藻など142種類の魚介類のモニタリングを行っている。4月から12月の間で延べ1972回の検査を行い、暫定規制値を超えたのが130回(暫定規制値は放射性ヨウ素が2000Bq/㎏、放射性セシウム134と137の合計が500Bq/㎏)。
・規制値を超えたことのあるものは次の通り。アイナメ、イシガレイ、ウスメバル、ドンコ、キツネメバル、クロソイ、コウナゴ、コモンカスベ、シラス、シロメバル、スズキ、ナメタガレイ、ヒラメ、マコガレイ、ムラソイ、ホッキガイ、ムラサキイガイ、キタムラサキウニ、アラメ、ヒジキ、ワカメ。
Xmg_0766・いわき海域で平均値が高いのは順に、コウナゴ、シロメバル、クロソイ、ヒジキ、アイナメ、キタムラサキウニ、コモンカスベ。
・暫定規制値が現在の500Bqだと規制値を超えるものは21種だが、間もなく基準が100Bqに変更される予定で、その場合65種が規制値を超えてしまう。
・時系列で見ると、明確に低下傾向にあるのはシラス、ホッキガイ、アワビ、アラメ等で、大部分は低下傾向が見られない。
Xmg_0813・海域としては福島第一原発より南の海域で規制値を超える検体が多い。最も多い海域はいわき市北部の近海(水深50mまで)、次がいわき市南部の近海(同)。
・海水中の放射性物質は5月→10月で激減している。現在は不検出のところが多い。
・海底土壌は波と流れにより天然の除染がなされている。5月→11月で沿岸から沖合に放射性物質が移動している。水深10mのところでは半年で10分の1ほどになり、逆に100m以上のところは増加傾向。水深1000mのところまで運ばれて落ち着くのではないか。岸→水深100mに対し、水深100m→1000mでは3倍ぐらい時間がかかるのではないか。湖沼は流れがないのでとどまってしまう。
・底質(海底の表層)が違うと線量が違う。
・体の大きい魚に多く蓄積される等のデータはまだ見られない。
・築地では常磐ものの評価は非常に高い。特に原釜の穴子、常磐もののスズキ、マコガレイ、アイナメなど。
・小名浜の干物は有名。それに対する価値観は変わっていない。
・築地としては荷が来れば受け入れるが、値が付くかどうかは何とも言えない。
・築地は常磐ものの復活を待ち望んでいる。

Xmg_0793昨日はNHKスペシャルで「知られざる放射能汚染~海からの緊急報告~」が放送されましたが、この中でも沿岸流と呼ばれる潮の流れで放射性物質が南下し、Xmg_0804銚子沖まで至っていることが報じられていました。また、群馬県の湖の土壌が高線量であること、東京湾に注ぐ河川の河口が高線量で、河口から8㎞さかのぼったところがさらにその2倍の線量であるとのこと。海と湖沼の汚染は時々刻々移り変わっているようです。

Xmg_0809これらの話を総合すると、海水の線量は問題なくなっているが、海底の土壌に放射性物質が蓄積していることが問題ということですね。海底に住む魚や海藻が放射性物質を取り込み、食物連鎖で大きな魚にそれが取り込まれる。親から子へと放射性物質が遺伝することはないので、Xmg_0799土壌からの取り込みがなくなれば、次第に魚も浄化されてくるわけです。早く常磐ものの魚が日本中に流通できる日が来ることを願っています。

「いわきサイエンス・カフェ」は11月から始まっており、これまでに福島県漁連の野﨑哲会長、東京海洋大の石丸隆教授などがお話をされているようです。今後も正確で詳細な情報提供の場として継続していただきたいと思います。
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/bukyoku/noseisuisanbu/suisanshinko/013043.html
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/bukyoku/noseisuisanbu/suisanshinko/013100.html

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2011年12月11日 (日曜日)

にわか天体観測家に〈皆既月蝕〉

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12月10日23:05から23:58にかけて、11年5カ月ぶりに全過程が見られる皆既月蝕が起こりました。全国的にたくさんの方がご覧になったと思いますが、我が家も珍しく天体観測にいそしみ、写真を撮ってみました。

まず写真の説明をすると、左上が月蝕が始まる前の様子。たくさんのひつじ雲が流れて月の全貌は見えませんでしたが、月蝕が進むにつれ鑑賞者に配慮するかのように雲1つない好天になっていきました。右に2枚目、3枚目と月蝕が進み、下段左4枚目が皆既蝕の状態。再び月が姿を現し、5枚目、6枚目と進みます。

Xmg_0511カメラの機械的性質によりますが、明るいところがあると暗いところは真っ暗に写ってしまい、皆既蝕の時はほの赤く全体が見えるので、他の写真よりむしろ明るく写ります。私はご覧(→)のような態勢で三脚に一眼レフデジカメを据え、望遠レンズを取り付けて撮影しました。いつもはオートマでしか撮りませんが、うまくいかないのでピントもシャッター速度もマニュアルにして何とかいい感じになりました。それでも月はそれほど大きくは撮れず、上の写真はトリミングしてやっとこんな感じということです。

今回面白かったのは、フェイスブック(FB)上でたくさんの人たちがリアルで鑑賞していたこと。PCやスマートフォンでコメントが続々寄せられ、さまざまな写真もUPされていきました。今までなら家族だけの世界ですが、FBのようなコミュニケーションツールが広がったことにより、日本中の人たちと時を共有できるようになったのです。ある意味、とてもすてきな時代が訪れたと思います。

時系列でこんなコメントが飛び交っていました。
「お月様を見てくださ〜い。かけはじめましたよ。
まだ10分ちょっとしか経たないのに、けっこう欠けてきてますね
久しぶりに望遠鏡を出しました。
コートきてひとり月見酒。お月さまのお陰でわびしくない。えへ。
「あの影が我らの地球かあ。自分が月を隠してるような気になってきました。」(私のコメント)
地上で様々なことがあっても、そんなことは関係なく星は光るし月はかけるのだなぁ。自分の抱えてる悩みなんてちっぽけすぎるなぁ
月がなくなる・・・
皆既月食こんなにはっきり観察できたの初めて‼  感激です(((o(*゚▽゚*)o)))
てっぺんすぎて首いてー。
月食観察中。元天文地質部の血が騒ぐ。
「今、長男と自転車で原宿〜六本木ヒルズ〜六本木ミッドタウンとイルミネーションを見て回り、夜空を見上げたら・・・あっ!今晩!!  急いで我が家に帰り、あったかコーヒー飲みながら皆既月食ショー。」
お月様が赤いねー・・・。ちゃんとこの時間、雲が晴れてくれるっていうのが素敵。
ウォールが、いろんな月食写真でいっぱい!
そろそろ本影による月蝕が終了です。あとは半影だけに…
月蝕もほぼ終了。こうしてみると、月ってきれいなもんですね。」(私のコメント)

大自然の中で起こった1つの現象ですが、人間は様々な喜びや悲しみに包まれていて、それらを超える宇宙の大きさに気づかされるひとときでした。

月で思うのは旧暦のことです。旧暦はご存じの通り、月の満ち欠けの周期で暦を作っていますが、日本の年中行事は本来旧暦に基づいているため、今のカレンダーでは季節感のずれを感じるのが常です。今年で言えば、旧暦1月1日は新暦2月3日、桃の節句3月3日は新暦4月5日、五月雨(さみだれ)が降る5月は新暦6月2日から、七夕の7月7日は新暦8月6日。いずれも旧暦の方が季節にマッチしています。そんなことから、旧暦も併用する方が日本の季節感を維持できるのではないか、とよく考えます。そんなこんなで、月が脚光を浴びた一夜でした。

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2011年11月26日 (土曜日)

観光拠点が復活!〈いわき・ら・ら・ミュウオープン〉

Xmg_03413月11日以来営業できなくなっていたいわき市観光物産センター「いわき・ら・ら・ミュウ」が昨日、オープンにこぎ着けました。この日は朝から大にぎわいで、駐車場に車が停められないほどだったそうです。私は夕方ようやくのぞきに行きましたが、この時間でもお客さんはけっこういて、幸先の良いスタートになりました。

Xmg_0343メインのおさかな市場は空間が一体的な感じになり、震災前より洗練されたスペースになりました。それ以外の館内もずいぶんきれいになり、震災をいい形でのリニューアル・オープンにつなげたという印象です。震災を機に撤退したテナントも多くありましたが、一部を除き新たなテナントが入っていてレストラン街も充実、けっこう魅力的な配置になったと思います。ここに至るまでの会社の努力に敬意を表したいと思います。

Xmg_0346リニューアルの目玉が「わんぱくひろば・みゅうみゅう」。東北最大級の屋内型遊び場ということで、大きな遊具で子供達が遊べる空間になっています。Xmg_0350私が行ったときはこの日の入場整理券の配布が終了しており、だいぶ盛況な1日だったようです。いわきの空間放射線量は大したことはありませんが、外遊びに神経を使っている保護者は今もいますので、こうした室内型の遊び場は必要です。ら・ら・ミュウの集客はこれまで、大型観光バスで首都圏から来られる日帰り客が主力でしたが、これを機に新たな客層として地元の人たちを取り込む戦略も必要ではないかと思います。

Xmg_0352Xmg_0357このほか、1Fでは福島を励まそうという漫画家の方々の原画展、2Fでは震災後の写真展なども行われています。そうそう、1Fのインフォメーション付近には日々の「環境放射線測定値」の掲示が。大事なことですねえ。Xmg_0353_2ほぼ0.1μSV/hの値が続いていて、問題はありません。

駐車場に停められた車はほぼいわきナンバーで、観光客がいつ、どのぐらい戻ってくるかが最も大きな課題です。これは市内の他の施設、アクアマリンふくしま、スパリゾートハワイアンズなども同じことです。アクアマリンは今のところ震災前の3割程度の入場者数とのこと。それがこのまま続くのは厳しい。そんな中、ら・ら・ミュウ駐車場に大型観光バスが1台。Xmg_0339初日から来てくれた方々がいるのです。これは嬉しい。スタッフの方に聞いたところ、この日は大型バス3台が来場。翌日ははとバスも来るということで、未来にほのかな光を見た思いです。

この日は平日ということもあり、閑古鳥が鳴いたらどうしようと、さる幹部の方は前の晩、眠れなかったそうです。しかし、ふたを開けてみたら予想外の人出。予定の1.5倍の来場者に、おさかな市場は商品がなくなってしまったとのこと。それだけ市民がこの日を待ちわびていたということでしょう。

この記事に写真を入れながら、震災後の惨状を並べようと思ったら、写真がありませんでした。市内各地を見て回りながら写真を撮って歩いたのですが、ら・ら・ミュウの写真は撮らなかったらしい。撮れなかった、のでしょうね。でも、おさかな市場の変わり果てた姿は脳裏から離れません。

12月半ばには小名浜美食ホテルがオープン予定。年明けのサンシャインマラソンの頃にはアクアマリンパークの応急的な復旧も整うことになっており、このエリアが徐々に反転攻勢に入ってきています。震災をバネに、生まれ変わったいわきに多くの方々が訪れてくれることを願っています。がんばっぺ!いわき。

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2011年11月13日 (日曜日)

主夫も大変〈いわき市男女共同参画の日〉

Xmg_0285今年いわき市で男女共同参画条例が施行され、「男女共同参画の日」というのも制定されました。それが今日、11月第2日曜日。今年は11月13日となりました。今までも男女共同参画の啓発事業は行われてきましたが、条例に定められた日ということで、今までとはちょっと重さの違う1日となりました。

Iwakki今回は1日がかりの大事業で、朝10時から展示が始まり、民話の語り、児童虐待防止キャンペーン、ネパール料理試食会等が行われました。その中でのメイン事業が宇宙飛行士・山崎直子さんの夫・山崎大地さんの講演会。宇宙飛行士の夫の生活というのがどんな大変なものかよく分かり、興味深いお話でした。

いや、私もいわき市男女共同参画審議会の委員としてこんなことを言っちゃいけないかもしれませんが、講演会のこのチラシを見たとき、まるで映画のポスターのような山崎家の写真。大地さんは見るからにイケメンで、「主夫」なんていうけどそれをかっこよくこなせるのは特別な能力や先進的な考えを持った特殊な人じゃないかなあ、と思うところがありました。

講演を聴いてみると、前半は宇宙管制官を目指していた大地さんが宇宙飛行士を目指す直子さんと出会い、出会ったそのときに、「宇宙にいる直子さんに管制センターからプロポーズする」と宣言、いろいろな過程を経て直子さんを支援するために会社を辞めて育児と介護に専念する「主夫」生活に入った、ということでした。これだけ「男女共同参画」が喧伝されても、世の中の多くの人はなかなか踏み切れない先進的な生き方を選択された姿に、うーん興味深いけどやっぱりふつうの人じゃないよなあ、と思ったりしていました。

が、さらに講演が進むと、妻を追って米国に渡ったものの、就労許可は下りない、社会保障番号がもらえず年金もなし、クレジットカードも持てない、携帯電話の契約も妻にやってもらうしかない、という扶養家族状態に陥ったということでした。引きこもりになり、何度も自殺しかかって、離婚も裁判所の調停を受け、うつ状態ともなったということで、精神的にはかなり破綻した時期があったようです。そうした修羅場を乗り越えた「主夫」だったのです。

Xmg_0287_2最後のまとめで仰っていましたが、自分は決してよいお手本ではない、というのです。ホントの男女共同参画であれば、夫も妻も夢を実現しなければならないのに、山崎ファミリーは夫の大地さんが自分の夢を捨てることになってしまったからです。「主夫も大変だなあ」というのが私の感想。

男も女も、夫も妻も、自分の生き方を実現するのは、そう簡単なことではないようです。もちろん、どの家庭も置かれた状況はそれぞれ違うので、夫と妻がどういう生き方をするのかはそれぞれの家庭が模索しなければならないのでしょうが、それを実現しやすくするための社会は作っていかねばならないことなのだと痛感しました。

家庭と仕事のどちらを優先するのかと言えば、大地さんは家庭だと言います。それは、仕事を放り出して家庭を優先せよ、ということではなく、いい仕事をするにはまず家庭の安定が必要であり、企業が家族をケアする文化が必要だ、というお話でした。

かいつまんでも2時間かかる講演をお聞きし、こういうすさまじい経験をしてこられた方だからこそ言えるお話だと思いました。聴講前の私の偏見を反省。

ところで、直子さんは昨年宇宙に15日間滞在し、1日1000μSVの放射線を浴びたとのこと。つまり総量で15mSVの被曝をしたわけですが、つい先日の10月24日に次女を無事出産されたということです。こんなところで放射線被曝の話まで伺うとは意外でしたが、本当に危険な被曝量っていったいどれぐらいなんだろう、と改めて思わされたのでした。

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2011年11月 6日 (日曜日)

高校生が復興ののろし〈地域復興祭〉

Xmg_0243今日、小名浜高校といわき海星高校合同の「地域復興祭」が行われました。これは両校合同の学園祭なのですが、通常の学園祭と違うのは、海星高校が津波被害を受け、今年はずっと小名高の校舎を間借りして学校活動を行っており、学園祭も合同になった、ということです。学園祭は本来、3年に1度ということで、今年やらなければ今の在校生は学園祭を経験することが出来ずに終わるところでした。小学校も中学校も、今年は1つ1つの学校行事が「やるのかやらないのか」の選択を迫られていますが、この両校は生徒達の熱い思いの中で「開催」を選択したようです。

Xmg_0225名称は本来の両校の学園祭のものではなく、「地域復興祭」。その名にふさわしく、小名浜スタンプクラブを始め、地域の方々の出店もあり、賑やかなイXmg_0221ベントでした。

特設ステージでは、ジョニー大倉さんのライブを始め、音楽やダンスが。物産ブースでは地域の人たちが焼きそばや豆腐、みそおでんなどの販売を。そのほか、震災に関連した写真の展示や生徒達の部活動の発表などもあったようです。

Xmg_02303月に、避難所だった小名高体育館を訪ねました。あれから8カ月。すでに避難者の姿はなく、生徒と地域の人で賑わう学校の姿にほっとさせられます。

Xmg_0233復興祭の会場を出て、永崎のファミリーマートへ。津波で見る影もなくなってしまった店舗がようやく再建されて、11月3日にオープンしたとのこと。旧知のオーナー・I君がいたので「おめでとうございます」と言ってしまったものの、おめでたいと言っていいのかどうか、言ってから考えてしまいました。Xmg_0231あんな被害さえなければこんな再オープンもなくてよかったのに。しかし、前に向かって一歩踏み出したのは、やはりめでたい。頑張ってもらいたいと思います。オープン記念の福袋などを購入。

Xmg_0234少し足を延ばして、このほど豊間に作られた「がれき灯台」も見てきました。埼玉県の現代アーティスト加藤翼さんの制作ということで、震災のがれきで作られたものです。高さ13.4メートル、重さ8トンというのですから、なかなかの大作。復興の願いを込めたのろしがここでも力強くあがっていました。

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2011年11月 1日 (火曜日)

よみがえれいわき!〈アクアマリンとハワイアンズ〉

Xmg_0192この10年、いわきの交流人口を引っ張ってきたのは、疑いなくスパリゾートハワイアンズとアクアマリンふくしまです。両者とも、震災で大きな被害を受けました。ハワイアンズは地下に活断層が走っており、プールを始めとしたメインの施設が大打撃を被りました。アクアマリンは電源が何カ月間も喪失し、9割近い魚が死滅しました。

両施設が今、奇跡の復活をかけて立ち上がりました。昨日はその姿を見に、「アクアマリンふくしま復活記念公開講演『今よみがえるシーラカンス~復活が産む進化学と工学の融合による豊かな展望~』」(長い!(^^;))と映画「がんばっぺフラガール」に行ってきました。

アクアマリンでは熊本水賴・京大名誉教授の司会で、安部義孝館長、佐藤隆一・金沢工業大教授、大西公平・慶應義塾大教授が講演をされました。

アクアマリンのシーラカンス研究は「生きた化石」の謎を解き明かすワクワク感が注目を集めていると思っていましたが、この日の話を聞くと、流体力学、原子力工学、ロボット工学など工学系の分野に貢献しうる実用的な側面があることが分かりました。

Xmg_0158佐藤教授によると、シーラカンスには10枚のヒレがあり、アクアマリンの探索で得られた映像を解析すると、非常に単純な制御でこの10枚が動いていることが分かったとのこと。この単純さが安定したシステムを生み出すということで、ロボットなどの動きに応用しようとしているそうです。Xmg_0185大西教授は「超臨場感技術」を開発しており、物体の触覚(つまり硬さなど)を通信回線で伝え、遠隔地にいるのにその物体の硬さを感じ取れる、という技術を作り上げています。例えば、大学のキャンパスから2キロ離れた場所で、スポンジや金属の感触を認識することが出来るというのです。そうした運動制御技術のヒントがシーラカンスにあるそうです。なるほど、面白い。

Xmg_0137安部館長の言葉も示唆に富むものでした。今回の震災の被害は、「学際」を軽んじた結果である、ということです。例えば、「防災」ということの中には様々な分野がクロスオーバーするのであって、それがうまくできていなかったために被害を防げなかった、というようなことかと思います。震災後生き残った魚はオウムガイなど「生きた化石」と呼ばれるもので、彼らは何億年も生き残ってきた「変化に強い魚」です。我々はそれらに学ぶことが出来るのではないかということでした。

Xmg_0186講演会はすばらしい教授陣による学術的なもので、アクアマリンの一つの側面を見ました。講演後館内を一回りすると、だいぶ通常の姿に近づいてきましたが、トドが戻ってきていない、ナポレオンフィッシュやチンアナゴも見当たりませんでした。まだ完全とは言えない状態なのでしょう。お客さんもいないわけではないけれども通常ベースにはまだ戻っていないようでした。歯を食いしばって何とか挽回してもらいたいものですが、館長始め前向きな取り組みには勇気をもらいましたし、それを支えてくださろうとする学者の方々の取り組みを知ることが出来ました。

Xmg_0190_2屋外では今年の国際環境芸術祭の一環で、アクアマリンのデザインを手がけてこられた伊藤隆治さんのお父さん、伊藤隆道さんの作品が展示されており、人目を引きます。あれ、ちょっとすてきなオブジェだな、と思ったら、何と伊藤さんの作品でした。

Xmg_0199夜7時半からはポレポレいわきにおいて、家族5人で「がんばっぺフラガール」を見ました。この映画は、震災から再オープンに至るハワイアンズの姿を追ったドキュメンタリーです。被災後「もうダメだ」と誰もが思ったほどの建物の壊滅的な被害。しかし再生を目指し、フラガールたちは全国キャラバンへ。Img_01その一方で広野町出身のフラガールが防護服を着て実家に一時帰宅したり、探し出したペットに毎日会いに行ったりする姿、ファイヤーダンスをする男性がキャラバンでは火を使えないため、掃除など地味な仕事を黙々とこなす姿、ハワイアンズが避難者を受け入れ交流する姿、など事実そのものが淡々と描かれています。蒼井優ちゃんがナレーションをしてくれているのがちょっと嬉しいです。

いわき市民にとってはあまりにも身近な場所なので、どれもこれもが他人事ではありません。「ハワイアンズ、あんなんだったんだね~」とは長女の言葉。公開館は全国で22カ所。映画「フラガール」のようなヒット作というわけにはいかないかも知れませんが、全国の人たちに「いわきは元気だ」ということを示す大切な映画になって欲しいと思います。

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2011年10月24日 (月曜日)

フェイスブックを始めました

Facebookフェイスブックぐらいやらないと、と友人に言われ、「聞いたことあるけど、どんなものか分からない」状態から、とりあえず6月1日に登録してみました。
http://www.facebook.com/#!/onojunzo

インターネットを使った情報発信ツールとしては、ホームページ、ブログ、ツィッターなどいろんな種類のものがありますが、なかなか全部対応しきれない、というのが正直なところでした。

フェイスブックは世界最大のSNS(ソーシャルネットワークサービス)で、基本的には友達同士の情報交換の場のようです。登録してしばらくは有効な使い方が分かりませんでしたが、日々の出来事、日々の思いなどを気楽に綴れるツールとして、だんだん気に入ってきました。

本日現在、「友達」が186人。ブログのように不特定多数の人に発信するのではなく、ある程度顔の見える方々に自分のことを伝え、相手の動静も知り交流するというのは、やみつきになると一日中やり続けてしまいそうになるほどの魅力があります。

このブログ「いわき大好き!」は細々とながらもう6年目になりますが、不特定多数の人に見られる(まあフェイスブックも誰からも見えるんですが、その度合いはブログの方が大きい)ので、内容にしても表現にしても、ある程度は考えながらUPしなければなりません。その点、フェイスブックは「今○○をしています」といった他愛のないことから書けるので、ブログとはまた違った使い方が出来ます。

これからは、ブログとフェイスブックを併用しながら、正しい使い方かどうか分からないのですが、ある程度きちんとした内容やまとまった話はブログで、日常の報告や雑感はフェイスブックで、という感じで使ってみようかと思います。

以前はさる方がHPでしばしば持論をUPされていたのに、最近更新の頻度が少ないなあと思ったら、フェイスブックやツィッターでは頻繁に発信されているのに気がつきました。私もこのところ、フェイスブックにUPしない日はないほどになっておりますので、世界中の「いわき大好き!」ファンの皆様(何人いるのか定かじゃないのですが…(^^;))、フェイスブックの方もどうぞご覧頂きたいと思います。お気に召したら「友達になる」をクリックしてください。存じ上げない方の場合、ちょっとためらうこともありますが、出来るだけ「友達」を増やしたいと思っています。

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2011年10月17日 (月曜日)

いわき市男女共同参画審議会が始動

Img_0002本日、いわき市男女共同参画審議会の初会合が開かれ、市長から委員に対して委嘱状が手渡されました。

長らくいわき市の男女共同参画は「懇話会」という場で議論が進められてきましたが、今年初めて条例が制定され、それに基づく「審議会」が誕生したのでした。

私もこれまで2期4年、「いわき市男女共同参画プラン推進懇話会」の委員でしたが、今日からは審議会の委員ということになります。審議会は東日本国際大学の遠藤寿海先生が委員長に、マルト人事総務部長の石山伯夫さんが副委員長になりました。

男女共同参画というのは世界の半分ずつ、男と女の関わり方の問題で、社会の最も基礎になるテーマなだけに一言では語り尽くせませんし、一朝一夕で政策が進む種類のものではありません。

いわき市の男女共同参画の施策は114あります。それらの1つ1つの進行状況を監視し、評価するのがこの審議会の仕事。ゴールがあるようなないようなテーマではありますが、私としては3人の娘が「女だから」という理由で能力や個性を生かせないような社会に送り出すわけにはいかない、というのが最大の使命感です。

これから2年間、微力ながらガンバリマス。

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2011年10月16日 (日曜日)

3・11から今日まで(その2)

その1を書いたからにはその2を書かねばなりません。が、前回も書いたように、この数カ月の私のミッションは会社の新システム立ち上げで、8月21日の本稼働から約1カ月半は帰宅が24時から25時という毎日で、仕事に忙殺されておりました。と、まずは言い訳を書いた上で、前回の続きを。

Dsc110406_049この間、一番嬉しかったのは、4月6日、今春小学校を卒業した次女の卒業式(正式には「卒業証書を授与する会」)が開けたこと。震災で学校が休みになり、6年間の総まとめに充実感を高めていた娘と娘のクラスがブツリと寸断されてしまったのは、とても悲しかった。卒業式が延期になった時点で、1年かかっても必ず卒業式をやってあげよう、と心に誓いました。

小学校側の配慮で、それは私が無理な交渉をするまでもなく実現しました。中学校の入学式の日、午前中に入学式が行われ、その後、午後に小学校で卒業式。前後は逆になりましたし、中学校では中学生になった喜びに包まれ、小学校に来たらまた子供達が小学生に見えるという不思議な感覚でしたが、とにかく良かった。

Dsc110406_068校長先生から1人1人卒業証書をもらえたし、練習してきた「旅立ちの日に」もみんなで歌えた。私もPTA会長としてお祝いの言葉を述べさせてもらいました。

「地震のお陰で、一番大事な最後の7日間がなくなっちゃったね。学校に行くこと、勉強すること、友達と生活することは当たり前のことだと思ってたけど、当たり前じゃなかったと気がついたんじゃないかな。スイッチをつけたら電気がつくことも、蛇口をひねれば水が出ることも、コンビニでパンやおにぎりが買えることも、ガソリンスタンドでガソリンを入れて車に乗ることも、当たり前だと思ってたけど、当たり前じゃなかったんだ。たくさんの人たちがこういう便利な世の中を作ってきたんだよ。『世界がもし100人の村だったら』の中に、こんな一節があります。『もし冷蔵庫に食料があり着る服があり、頭の上に屋根があり寝る場所があるなら…あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています』。そう、みんなは世界の中で恵まれた25%にいるんだよ。こういう世の中を誰かが作ってくれた。みんなはこれから中学、高校、社会へと向かっていくけど、長い時間をかけて、社会のために自分は何が出来るか、社会の中で自分が果たせる役割は何かを見つけて欲しい。」
泣かないで話そうと思いましたが、話しながらやっぱり泣けてきました。

Dsc110409_0994月9日には、小名浜まちづくり市民会議が小名浜のサクラ開花宣言を行いました。津波をかぶったサクラの木が、今年も開花してくれました。

Dsc110416_1304月中旬には、魚市場近くで長年包装資材を販売していたHさん宅のがれき撤去のお手伝い。がれきって言ったって、ついこないだまでは商品だったり、生活用品だったりした品々。ただ捨てることしかできない虚しさがあります。うちの娘たちも手伝い、いくらかお役に立てたかな。

Dsc110501_0655月1日には、星薬科大学100周年記念事業で、小林研一郎さん指揮のコンサートが品川Dsc110528_016で行われました。このコンサート、震災が起こったということで急きょチャリティコンサートになり、小林さんなどのギャランティはいわき市内の被災した学校に楽器として寄贈され、演奏会の収益は同窓会からやはりDsc110927_076市内の被災校に理科の実験器具として寄贈されました。本当にありがたいことです。9月27日には同窓会の皆様がいわき市を訪れ、吉田教育長に目録を手渡しました。また、5月28日には100周年の記念式典が行われ、お招きを受けて出席しました。

Dsc110508_0045月8日には、アート&セラピー協会の主催で、タウンモールリスポにおいて「アトリエ・ツリーハウス」が行われました。自由に絵を描くことを通して、子供達の心を開放しようという事業です。

Dsc110511_0245月11日には、小名浜東小学校の子供達を励まそうと、家庭科の時間としてフルーツアートの体験が行われました。日本フルーツアートクリエイター協会の村上しずかさん、高梨由美さんが6年生に技を伝授してくださいました。いわき市出身の高梨さんのご縁で、9月23日にはNPO法人無形価値評価・認定センターとセベバレステロスゴルフクラブの主催で、セベにおいて「未来へのステップ」というイベントが行われました。フルーツアートやバルーンデコレーション、パターゴルフコンテストなどで子供達が楽しい一時を過ごす場をご提供いただきました。特別顧問のヤンキー先生こと義家弘介参議院議員も駆けつけて下さいました。

Dsc110911_013この他、小学校で放射能の除染作業やPTA広報紙で子供の心のケアに対するインタビュー記事の掲載など。わずかのことしか出来ませんでしたが、仕事の合間に少しだけ、地域の復興に関わる活動のお手伝いをした次第です。

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2011年8月 8日 (月曜日)

3・11から今日まで(その1)

会社でここ2年ほどの私の仕事は、社内の受発注等を行う新しいコンピュータシステムの導入です。私にソフトウェアの知識があるわけではないのですが、業務を行うために必要な仕組みをシステム会社にオーダーし、それを検証して稼働まで持っていく仕事をしています。それがいよいよ8月20日過ぎにスタートするため、まさに今が佳境です。

震災後しばらくの間は会社の業務も限りなく休止状態に近かったので、その間わずかながらボランティア的なことを行いましたが、数週間後に会社が全面再開となって以降は、津波で壊滅した南相馬市の原町営業所、原発20キロ圏内で入れなくなった楢葉町の富岡営業所などへの対応に始まり、さまざまにイレギュラーな業務が必要となったため、まちのことに関われる余裕がなくなってしまいました。

そんな中でわずかながら行ってきたことを、まとめてUPしてみたいと思います。

Dsc110313_093Dsc110317_014震災後、生活上大変だったのは水が出なかったこと。水道の復旧はいわき市水道局が相当に頑張ってくれました。が、それでも広域に及んだ復旧作業はいっぺんには片付かず、我が家は4月8日まで断水でした。近くの川に水を汲みに行ったり、給水車や給水所で給水するのが日課となりました。

ガソリンの欠乏も社会の大問題でした。スタンドはガソリンが入ったところは開店しますが、そうでないところはしまったまま。開いたところには開く前から自動車が列をなしました。何時間かかってもいいからアブラが欲しい、という人たちが押し寄せていたのです。私もいつもお世話になっているカネマン石油さんが開いたということで給油に行くと、知り合いたちが何人も手伝いをしていました。妻子を遠方に避難させ、自分はやることがないから手伝いをしているんだ、という人も。これは私もお手伝いしなきゃ、ということで2日ぐらい並んでいる車の誘導などをしました。

Dsc110319_038Dsc110319_020地元スーパーのマルト小名浜君ヶ塚店がオープンしたのが3月19日頃でしたか。我が家も早速買い出しに行きましたが、ざっと見たところこちらは1000人ほどの長蛇の列。いったいどれぐらいのものが置いてあるのか、我々の順番まで品物が残っているのかちょっと心配でしたが、思いの外潤沢に商品がありました。「お願い! 商品不足のため、飲料品(ペット/紙)・カップ袋ラーメン・納豆・牛乳の販売をお1人様1個までとさせて頂きます」の掲示。いやあ、このときはそれでもぜんっぜんありがたかった。スーパーでものが買えることがこれほど感動的だとは。

Dsc110320_050Dsc110320_052あるときは、支援物資の運搬作業の手伝いをしました。いわき青年会議所(JC)は3月11日から年間の事業計画をいったん白紙にし、震災対応に奔走することになりましたが、そのお手伝いで、小名浜港に到着した救援物資を平競輪場に運搬しました。自衛隊のたくさんの隊員の方々が運搬業務に当たっていました。

Dsc110320_062競輪場には、全国から続々と水、パン、毛布などなど、膨大な物資が毎日届いていました。ネットでは「物資はあるのに被災者に配れていない」ことを告発する映像が波紋を呼びましたが、何日かのタイムラグを置いて事態が改善される様を目の当たりにしました。「病院に薬がない!」「福祉施設に食料がない!」「避難所には菓子パンしか来ない!」などといった告発がメールで回ってきたりしましたが、私のところに届くまでに恐らく3-4日の時間が経過し、確認してみると「昨日まではそうだったよ」といったことが何度かありました。未曾有の震災で行政も地域の人々も右往左往しましたが、問題が指摘されると時々刻々解決に向かっていったのです。

Dsc110329_0838年前、いわき青年会議所を設立するためのいわき5JC統合に対して、先進地として大きなサポートをして下さった諏訪圏青年会議所の第2代理事長・松本浩成さんが、お仲間と救援物資を持って長野県からわざわざ来てくれたのが3月29日。この頃には日用品がある程度手に入るようになっていましたが、病院や福祉施設が必要としているものはまだ残っており、市内のそうした施設を何カ所か一緒に回りました。こうした善意には、本当にありがたい思いでいっぱいです。

Dsc110402_002_2いわきでの大学の同窓会の幹事をしている関係で、同窓会本部からも2度ほどお見舞いの電話を頂きました。また、他地区の同窓会から支援物資を頂き、それはいわき青年会議所にお渡ししました。

Dsc110321_080Dsc110321_089_2東京方面から炊き出しに駆けつけてくれる人たちもいました。ボランティアの方々は熱い思い1つでやって来ようとされるのですが、上記の通り、被災地の状況は時々刻々変化します。「今」、支援を必要としている人たちに橋渡しする地元の受け皿がないと、思いは空回りしかねません。ということで、行政からの要請を受け、炊き出しに来られる方々に場所を提供し、配布作業まで一緒に行いました。Dsc110321_098Dsc110321_112避難所となっていた小名浜市民会館の調理場をお借りし、避難者に配布すると共に、江名地区の避難所にもお持ちしました。私の中学、高校の同級生で、小乃せ食堂の嫡男にして磐城緑蔭高校教師の小野瀬鉄夫君も汁物作りに馳せ参じてくれました。

Dsc110324_146さらに、いわき市に寄せられた大量の支援物資を地域内の人々に配布する作業が一週間ぐらい続きました。実をいうとこれはなかなか複雑な思いに襲われました。というのは、おにぎりやあんパンなどが日々大量に届くのですが、届いたその日が賞味期限だったりして、行政はそうなると配ろうとしないのです。…ってことは、もしかして捨てちゃうの? せっかく善意で送ってくれたものを、まだ食べられるのに廃棄するなんて、それは人間としてやってはいけないことでしょう。せめてそうなる前に人々の手に渡そうと、おにぎり1万個を裁いた日もありましたし、賞味期限の切れたあんパンを1箱もらってきて周囲の人に配ったりしました。自宅の冷蔵庫であんパンを冷凍して、毎日1個ずつ食べ続けたりもしたなあ。もったいないといっても、これじゃ体を壊しそうですけどね。

この間、JCは細野原発担当相など政府首脳と懇談する場などもありましたが、そうした際に提案してくれとお願いしたのは、こうした大災害のときに国が主導権を持って復旧チームを自治体に送り込み、支援する側の自治体との調整なども含めて、過不足のない対応を取れる仕組み作りを行って欲しいということでした。

阪神大震災以来、大災害が起こったら、医療チームは即座に被災地入りする仕組みが出来上がっています。DMAT(ディーマット)と呼ばれるものがそれで、今回も震災当日には全国の医師たちが出動し、緊急医療体制を敷きました。巨大地震が起こればその瞬間に被災地では家屋が倒壊し、インフラが寸断され、住居、食料、医療、燃料等の支援が必要になります。どこの自治体でもマグニチュード6とか7クラスの地震は初めての経験となるので、間髪を入れず必要な対応を取れるところなどないはずです。で・す・が、日本全体として考えれば数年に1度はどこかで大地震は起こっているのであって、そのときに復旧に必要な要素は毎度同じなのです。であれば、大地震の瞬間にDMATが出動するように、国からも被災対応のプロが出動し、地震当日にも被災自治体で緊急体制を組むようにすべきだと思うのです。支援物資の受け入れも、全国の自治体に対し、「今、何が必要か」を絶えず情報発信し、充足されたものが過剰に送られなくてすむ体制が必要です。

まとめて5カ月分のブログを書くと長いなあ。まだ続きもあります。今日は花火事務局時代にお世話になった吉田直子さんから「いい加減に更新しなさいよ!」と言われたので、何はさておきブログ書きをしました。更新しましたよ~、直子さん(^_^)v。

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